ASiGaRu

凍鶴



 ライケン領は静かな大騒ぎになっていた。
 領主の娘、セハがまた拾い物をしてきたのだ。ふと二日間いなくなったかと思えば、連れて帰ってきたのは屈強な男女二人と、柔く美しい少年一人。一宿一飯の恩があるから泊まらせるというのだ。
 その実、解っているのは首謀者のセハ、ムトと、かの帝弟子の顔を知るクルドにシジンだけである。持って帰ってきたそれに頭を悩ませたのはもちろんクルドだった。来たら保護しようとは言ったものの、まさか持って帰ってくるとは思わなかった。だが、それをやりのけるのがセハであり、突っぱねられないのがクルドである。クルドはヨルガの国に別段反発を抱いているわけではない。むしろ、好感すら持っている。それはライケン領内の自治権を認めてもらっているからだ。直接的政治が行われないだけで、代々の領主は随分ヨルガを高めた。クルドもそのうちの一人で、だからこそ、死んだと思われていた帝弟子が生きてここにいることに安堵もしている。
 だから、保護すること自体は容易い。旅の疲れが浮き出た顔は見るに耐えないものがあったし、少し休ませてやるのが良いだろうと思った。
 クルドの屋敷に室を三部屋設けると、二部屋で構わないという答えが帰ってきた。やはり彼等はネイサ――今はキゼンと呼ばれているようだが――を守る存在なのだろう。
 部屋割りは彼等にまかせて、クルドは二部屋を用意させた。
 ネイサは設えられた部屋の寝台に腰掛けていた。
 ぼんやりとした意識の中で、手の感触だけが残っている。肉を断ち、骨に突き刺さるあの感触が。じわりと溢れる血の色が、臭いが。今も鮮明に目の奥に焼き付いていた。
 ネイサは初めて人を殺めた。
 水瀬ノ疾を超えようとしたその時、二人の追者が現れて暫く追われた。その後、追手を撒くために二手に別れた。ネイサはジュナンと共に逃げた。だが、狙われているのはネイサだ。追手の剣撃がネイサに迫った時、確かにネイサを死を近くに感じた。けれど、それを庇ったのはジュナンだった。ジュナンが鏃で相手の剣を殴ったのである。剣は横の衝撃には弱かったらしい、ぺっきりと罅が入った。ジュナンは短刀を出し、相手と鍔迫り合ううちに相手の剣は罅から折れた。
 そのままなだれ込むように両者肉弾戦へと至り、ついにはジュナンが昏倒した。
 それで、残るネイサが狙われる。後のことはよく覚えていない。ただ、死は感じなかった。生きることだけを見つめていたきがする。
 手に残る感触だけが、現実を突きつけてきた。
「キゼン、具合が悪いか?」
 タッサンに言われて、慌てて顔をあげてかぶりを振る。
「いや、なんでもないんだ。大丈夫だよ」
「無理はするなよ」
 タッサンもわかっていた。キゼンがあの追者を殺したことを。だからこそ、かける言葉がなかった。人の命を奪う行為を、正当化するのは正しいとは言えない。だからといって糾弾など以ての外で、ただ、それを静かに噛み砕く時間が必要だろう、と。だから、それ以上に言葉はかけなかった。戦の経験が無いキゼンには、消化が難しい話だろう。
 一方でクルドの私室に集まった四人は再び話し合いをしていた。
「どれくらい匿える?」
「せいぜい二月が限界だろう」
「冬は越せないってとこだ」
「冬支度をして出すしかないだろうな」
「追者は水瀬ノ疾で追い出せる」
「いつまでやっても膠着状態なのは変わりない」
「うーん難しいところだな」
 クルドも難しい顔をしている中、セハはにこりと笑う。
「二ヶ月あれば十分だな」
「何をする気ですかセハ様」
 これだよ、とセハは手で示す。
「剣……?」
「あのぼっちゃん基礎は成っているが経験が無い。まるで育っていない。勿体無いだろう。それに、逃げるには術が必要だろう?」
「教えるつもりですか」
「教えるより遊ぶ程度だけれどね」
「全く、セハ様は……」
「構わんが、鍛えるならきちんとやれよ」
 クルドの言葉にセハはにっかりと笑った。
 ムトはこれから扱かれるであろうキゼンの姿を目の裏に頭を抱えた。
 クルドの私室を出ていったセハが行った先は、もちろんキゼンの部屋だった。
 戸を叩き、中に入る。キゼンとタッサンがセハを見つめる。
「これは、どうされた」
「そっちの坊やに用があってね、借りてもいいかな?」
 タッサンがキゼンを見るとキゼンは多少当惑しながら頷いた。ちょいちょいと手で示したセハにキゼンはついていく。セハが向かった先は屋敷の鍛錬場だった。広い板張りの道場で、きれいに掃除されている。壁にかかっていた木剣をぽいと放られて、キゼンは慌てて受け取った。
 セハは何も持たずにキゼンに言った。
「どこからでもいい、かかっておいで」
 一瞬、「え」という顔をしたものの、キゼンは木剣を構えた。
 相手は何も持っていない。そこに打ち込むことの難しさを、キゼンはひしひしと感じていた。ムトと呼ばれている男は鍛錬場の端に背を凭れてこちらを見守っている。
 キゼンは構えたまま、機を伺った。相手は動かない。ならば、こちらから。
 踏み込み、突きを出すとすんなり躱される。横を抜けて後ろから斜めに振り向きざまに木刀を打ち込む、が木剣を手に受け止められてしまった。
「本気じゃないだろう」
 セハの声にキゼンはびくりとする。
 それから、セハはキゼンの木刀を取り上げると、背中から何かをとりだした。
 キゼンはハッとする。
「それ、なんで」
「これをつかったときの君はとても強い意志があったね」
 追者を倒した時の矢だった。刺した感触が今にも湧き上がってきてキゼンは手の震えを抑えるようにぎゅっと握った。
「見てたから。私とムトは見守っていた、君をね」
 困惑した表情は変わらない。何故、見ていたのならでてこなかったのか。
「君があそこで殺されるような人間なら、誰も君に命運を預けようとは思わない。国の趨勢を君に授けようなどと思わない。だから見極めていた」
 キゼンは雷に打たれたような気持ちだった。
 知っていたのだ。自分が帝弟子であることも、逃げていることも、追われていることも。
「だが君は追者を手に掛けることができた。だから私は君に国の未来を見てもいいと思ったんだよ」
「国の未来を……?」
「そう。ただの温室育ちの坊っちゃんじゃぁないらしいから」
 確かに外に出て感じたのは自分の無知さだった。生きるための力を持っていない。食料の捕り方も煮炊きの仕方も、火の付け方さえ知らなかった。着替えだってそうだ。着慣れない服に最初は戸惑った。国の歴史や数字、兵法、他国の情勢といった知識ばかりで頭をいっぱいにして、結局の所生き方など誰も教えてくれなかった。
 だから、温室育ちと揶揄されても仕方ないし、むしろセハが自分に何を見ているのか、ネイサは気になっていた。
「僕は、期待されるような何かを持っている訳じゃない」
「謙遜は重要だが時に諸刃の剣となる。素直に褒められておきなさい」
「何をもって、僕に期待するんですか」
 セハの目を見て言う。セハはにんまりと笑うと言った。
「君が命の駆け引きに勝ったからだよ」
 追者を倒したことがそれほど重要なことだったろうか。死ぬかもしれないから殺しただけなのだ。それは草食動物が窮鼠猫を噛むように歯向かっただけのことだった。
「まだ納得していないって顔だね。あそこで君が尻込みしてごらん。君もあのジュナンという女従者も殺されていただろうよ」
「だから、僕は」
「殺したんだろう? あの男を」
「……じゃなきゃ、死んでた」
「そう。危機が迫っても立派に考えられている。だから君は大丈夫。命の駆け引きが出来るっていうのはそういうことだよ。諦めず鏃を突き刺すことができた。大抵の兵士がはじめて戦場に出た時、どう考えると思う?」
「……殺さなきゃいけないけど、怖いと思う」
「それでだ、殺せると思うかい?」
 ネイサは頭を振った。だってネイサですら自分が何をしているかわからないまま鏃を突き刺した。冷静に考えて人を殺せるはずもない。
「そう。大抵の兵士は尻込みして逃げるんだよ。追い詰められて最後に思い出す。嗚呼、自分は戦場にいるのだと。そうしてはじめて人に刃を向ける」
「そうやって殺すんだ」
「うん。だから君のように逃げずに立ち向かえる心をもつ者はそういないってことだよ。話が長くなったね。君をここに呼び出したのは他でもない。君に稽古を付けたいと思った。心構えはしっかりしていても経験があまりに少ない。どうだろう、君はここにいる間稽古を受けて強くなる、この先の旅にも役立つだろう。そして私は暇を紛らわせることができる、いい話じゃないかい?」
 ネイサは一も二もなく頷いた。
 斯くして、ネイサにセハ直々の稽古がつけられることになった。
 その日は一刻ばかり素手のセハにひたすら打ち込みをさせられて、用意された食事をとるとネイサはあっという間に寝付いてしまった。自分がしたことを考える暇もなく、疲れに襲われたのである。
 夜半、眠れず起きたタッサンはジュナンとセハが話しているところにいき会った。
「これ、返しますね」
 セハが差し出したのは、ジュナンの矢だった。鏃の汚れもきれいに手入れされていた。弓矢使いにとって重要な矢は使い回しすることが多いということを知っての行動である。
「これは……、ありがとうございます」
「あなた達が護ってこられたものは立派に育っていますね」
「キゼンのことですか?」
「仔細は聞きました?」
「ええ」
「人を守れるというのは立派なことです」
「……私は、失態を犯しました」
 ジュナンはキゼンを護りきれなかったことに自責の念を覚えていた。セハはふと、笑うと言う。
「あなたの失態はキゼンの成長を促した。あの子はやる気だ。稽古も受けてくれる気になったようだし」
「本来なら、護るのは私の任務なのです」
「そうですねぇ。でも、庇護されてばかりの苗はそのまま成長できずに腐ってしまうでしょう。必要な試練だったと、思いますよ」
「そう、ですか」
 セハは振り返ると、柱の影に声をかけた。
「タッサン、起きていらしらんですね」
「はは、立ち聞きの趣味は無いのだが失礼をした」
「いえ。そうだ、私が稽古をつけてもよろしいですか?」
「セハ殿ならこちらも喜んで。私もたまに手伝わせて頂きたい」
「もちろんです。お二人にも協力して頂こうと考えておりましたから。それでは夜も遅い、おやすみなさい」
 セハは去っていった。
 翌朝、久方ぶりの寝台で目覚めたネイサは起き上がるとぐっと伸びをした。腕が少し痛む。昨日慣れない木刀を振ったからだろう。
 自分で着替えて、外の洗い場へ行く。水が溜まった四角い石桶の側に数人の男達がいる。隅の方で顔を洗う。
「君がセハ様の連れてきた一行の一人かい?」
 髭を蓄えた男が気さくに話しかけてきた。
「はい。お世話になってます」
「随分な美男子がきたんもんだ。セハ様に無理やり連れてこられたんじゃないかって皆心配してたんだよ」
「無理やり、ですか?」
「セハ様はここらじゃ、じゃじゃ馬娘って有名でね。破天荒なお方なんだ」
「そうなんですか」
 昨日のセハを思い出し、確かにいきなり打ち込んでこいとはどういうことだと困惑したのを思い出す。やり口は変わっているが、ネイサの沈んで混乱していた気持ちに一区切りがついたことは確かである。だから、素直にいい人だと思った。
「でも、いい方ですよね」
 ネイサが言うと、男たちは呆気にとられた顔をした次の瞬間笑い出す。
「はっはっは、そうなんだよ」
「はは、だから俺たちもついていける」
「嫌わないでやってくれ。あれで一応乙女だ」
 含み笑いの男たちに、にこりと笑い返して頷いた。
 朝鍛錬場にこいと託けされていたから、ネイサはその足で鍛錬場へ来たが、まだ誰もいなかった。タッサンに教わったように身体を解していると鍛錬場の戸が開いて、セハが現れる。
「おはようキゼン。早いという心がけはいいことだ」
 挨拶もそこそこに、再び昨日と同じ鍛錬が始まった。素手のセハにネイサがひたすら打ち込むのである。一度でも触れられたらセハは木刀を持つと言った。ネイサが触れられない限り、セハは剣を持ってくれないのだ。
 しかしそれでも得ることは多かった。剣の打ち込み方はもとより、それを躱す身のこなしである。セハはどんなに剣が近くとも怯むこと無く丁寧に避けてこちらに踏み込んだり距離をとったりしてくる。並大抵の者ではできないだろう。相当に強いのだ、セハは。
 朝食もそこそこに陽が中天に登るまで稽古は続いた。へとへとになっているのはネイサばかりである。
「大丈夫か、キゼンくん」
 水差しを手渡してきた男が言った。
「ムト、さんでしたか」
「うん。改めてムトです、よろしく」
 やわりと微笑み男は優しげである。そういえばムトはよくセハの近くにいる。
「側近ですか?」
「まぁ、そんなものかな。幼い時から知ってるよ、セハのことは」
 側近にしては口ぶりが砕けているな、と思う。
「仲がいいんですね」
 ネイサの言葉にムトは首をかいて笑った。
「いやぁ、そうかな。腐れ縁みたいなものだから」
「腐れ縁、ですか?」
「離れようにも離れられない縁ってことです」
 ずっと友達という存在もなく暮らしてきたネイサにとってはムトの言葉はとても素敵なもののように思えた。
「いいですね。僕には、いなかったから」
「……そうだなぁ、そのうち出来ているもんじゃないかな。つくろうと思ってつくれるものではないと思いますよ」
「はい。お水、ありがとうございました」
 そう言ってネイサは立ち上がった。
「キゼンくん、あまり無理はしないで。セハは容赦ないでしょう」
 かけられた声にネイサははにかみ、頷いた。
 セハとの特訓は少しの休憩と食事の時間以外は夜まで続いた。ネイサ自身も夕方になる頃にはへとへとになっていて、足元がふらつくこともあったがセハはそういう所を見逃さずにすかさず攻めてくるから疲れた身体の動かし方も少しわかったような気がした。
 夕食の後の湯浴みもそこそこに、ネイサは後でジュナンの所に顔を出そうと思い寝台に倒れ込むとそのまま寝付いてしまった。疲労しきった身体はすんなりと眠りに落ちる。
 目覚めたのは翌朝早く。はっと起きて自分が眠っていたことに気づいた。布団がかけられている所からして、タッサンがかけてくれたのだろう。そのタッサンはまだ眠っているようだった。
 こんな朝早くにジュナンの所へ行っては悪いと思い、書き置きを残そうと書見台を漁る。
 目当ての紙と筆を見つけ、ネイサは簡単に体調を案ずる旨を書きつけるとジュナンの室に挟み入れた。ジュナン宛と書いてあるから本人以外でも気づくだろう。それに見られて恥ずかしい内容ではない。
 朝は昨日と同じく顔を洗いにいって、そのまま鍛錬場へ向かった。身体はまだ疲れが残っていて節々が痛い、がこんなことで音を上げていてはタッサン達のようにはなれないのだと思うと気持ちが奮い立つ。
 鍛錬場に現れたセハは木剣を持っていなかった。
「今日は精神の統一だ。一糸乱れぬ精神を貫けるようにな」
「はい」
「座って目を瞑ってそのまま、寝るんじゃないぞ」
 セハに促され、ネイサは鍛錬場に座す。
「乱れたら私が手を鳴らす。音がしたら今一度自分を見つめ直すんだ」
 頷き、それから精神の統一とやらが始まった。
 初めはごちゃごちゃとした雑念がうようよと頭を泳いでいたが、やがて一本の線を伝うようにはっきりとした静けさが訪れた。途中何度か雑念が広がる途端に叩かれる手の音に再び自分を見つめ直す。
 これは、集中することを学んでいるのだと気づいたのは昼餉が終わってからだった。腹も満たされ、身体の疲れも良い具合で周っている。眠くなるのも当然だったが、そんな自分を律しているときに気づく。そう、戦いにおいて、腹が減っている、眠い、などと戯言は言っていられないのだ。それは命に直結する。そんな時に集中を欠いて命を散らすなど甚だ馬鹿らしいことだ。
 じっと集中するようになって午後はいよいよ手を叩かれる回数が減った。
 あっという間に夜は来てしまう。
 暗くなった鍛錬場でセハにいつものように礼をして、ネイサはジュナンの元へ向かった。
 室の戸を叩くと中から返事がかえってきて、ネイサは室に入る。ジュナンは寝台に座っていた。朝差し入れておいた紙が寝台横の物置に置いてある。
「ジュナン、具合は?」
 ジュナンは近くの椅子を示すと微笑んだ。
「お陰様で治りも早い。キゼン頑張っているようだね」
「知ってたの?」
 内心知ってはいただろうと思いつつも知られているということに恥ずかしさを覚えて思わず聞き返した。
「あぁ。タッサンにもセハ殿にも聞いているよ。よく教えられる良い生徒だと。成長も著しいって」
「まだまだなんだ。タッサンやジュナンはもっと強いから」
「私達も一朝一夕でこうなった訳ではないからね。それでも経験は人を強くする。きっと良い結果を生むよ」
「うん。頑張るよ。少しでも役に立てるように」
「私も怪我を早く治すようにするから、治ったら手合わせでもしてね」
「ジュナンと手合わせするなんて考えたこともなかった。約束だ」
「あぁ、約束しよう」
 ジュナンの怪我が治癒するのに月がひとつ変わった。
 冬の訪れも本格的になっていて、ライケンには初雪が降った。
 初雪が降った日には鍋をするから狩りについてきたらいいと言われて、鍛錬ばかりしていたネイサは久方ぶりに外に出た。馬も一頭貸してもらって自分一人で乗っている。鍛錬は手合わせばかりでなく、乗馬での戦いもあったから馴染みのある馬だった。穏やかな性格の馬である。
 ジュナンとムトが狩に同行していた。セハがジュナンの狩の腕を見たいといったからだ。
 ライケン領の堺の森へ馬は進む。雪がかった森は吐く息が白くなる。川がいよいよ近くなって来た。
 ネイサはぐっと手に力がこもって馬が止まりそうになるのに気づいた。自分が初めて人を殺した森だった。緊張していたらしい。ぐっと緩めて心を落ち着かせると、馬も気づいたように普通に進み始めた。馬は人の気持ちにとても敏感であると気づいたのは、廟堂を逃げてきてからだった。馬とこれほど近くで生活することもなかったし、これほど大事に思うこともなかったから、尚更だ。
 狩りは順調に進んだ。冬が迫り来る中獲物を狙っている鳥を上手く狙い落とすジュナンの腕にはセハも舌を巻いていた。
 じっと身を潜めて、鳥が何かに気を取られたところに矢を放つ。鳥に吸い込まれるようにして矢は当たり、鳥は木から落ちる。
 旅の中ではついていくことだけに必死でジュナンの腕など然程気にしていなかったけれど、そんなネイサでも思わずすごい、と口にするほどだった。
 屋敷で作った穀物の握り飯も食べて、猟果も上がったところで帰ろうとしたときである。
 森の向こうから雪を踏む足音と共に近づいてきた数人に皆が顔を上げた。
 明らかに普通の村民ではなさそうな風体である。柄の悪いという言葉が当てはまる者たちだった。こちらにいるのはセハとジュナン、ムトとキゼンである。対して相手は五人。
「よぅ、冬の狩りでそんなにとれるとはいい腕だなぁ」
 柄の悪い男はキゼンの背後にきた。キゼンは身構える。
 セハは笑いを浮かべたまましかし目は座っていながら答えた。
「そりゃどうも」
 ムトも構えようとしていることがわかる。ちらりとこちらに目線を送ってきた。
「俺らにもわけてくんねぇか」
 言うが早いか、男がネイサの首に腕をかけて持ち上げた。重さがぐっと首にかかって痛みが走った。
「や、めろ」
 ネイサの喉を締められた声に、皆が立ち上がって臨戦体制に入る。引きずられてそのままネイサは三人から離された。
 ジュナンが短剣を構えるとネイサを掴んでいる男は言った。
「おっと、下手な真似しちゃこいつが痛い目にあうぜ」
「そうかい」
 セハは相変わらず不遜な顔で答える。男は片手に短剣を散らつかせた。
「あんたたち、山賊かなにかかい?」
「そうとしか見えねぇだろう」
「ごたごた言わずに獲物をよこせ。そうすりゃ解放してやるさ」
 黙っていたセハの口が音を伴わず動く。
 ”やれ”
 たったそれだけの言葉に、ネイサは動いた。短剣を持つ腕をぐっと掴むと、足を後ろに跳ね上げて男の股を蹴り、緩んだ腕から出る。同時に動いたのはムトとジュナンも同じだった。あっという間に男たちをおとしていく。
 逆上して食って掛かってくる男の剣を避けて、後ろにまわる。帯剣していないのはネイサだけだった。元々、狩りを見にきただけなのだ。
 ネイサは避けるばかりを繰り返して、男たちを熨したジュナン達の方へ誘導していく、結局ネイサを掴んでいた男を倒したのはジュナンだった。
 さっさとセハは縄で男たちを縛りあげて、ぐるりとひとつにしてしまう。
「はぁ、全く災難だったね。雪の降り始めは山から降りてくる奴らがいるからいやだいやだ」
 ぱんぱんと手を叩いてセハは言う。それからぽんとネイサの頭に手を置いた。
「嫌な思いをさせて悪かった。が、あの身のこなしはよかったぞ」
「う、うん。お陰様です」
「全く、肝が冷えますよ」
 ムトはジュナンを気にして言う。
「ムトもジュナンもいたからね、大丈夫だと思っていた。それに思わぬ所でキゼンの腕を見せてもらえたな」
「無事でよかった。強くなったね、キゼン」
 何もできなかった、という思いは飲み込んだままジュナンの言葉にネイサは頷く。
 逃げるだけだった。いつも、守られてばかりだ。一人だったら、死んでいたかもしれないのに。三人がいたから、心のどこかで大丈夫だろうと頼りにしていた。
 やっぱり、自分は弱い。
 本当の強さに辿り着けなどするのだろうか。
 帰りの道すがらもそのことに気を取られて、馬が勝手に屋敷に帰ってくれたから辿り着いたようなものだった。
 武人には程遠いのだ。そんな思いが胸に疼く。
 帰ってから催された鍋を鱈腹食べて、舌鼓を打った。最近は廟堂の冷めた食事より温かな食事の方が美味いと感じる。
 捕らえられた者達はどうするのかとムトに聞くと、屋敷の一角に留め置いて処分を決めるのだという。この屋敷で武人として兵役を持っている者たちの中にはそんな出自の者も多いらしい。きちんと相応の物さえ与えられれば大半の者は大らかになるものだ、とムトは言う。
 その夜は雪がしんしんと降っていた。
 数日して、雪が深くならないうちに、ライケンを出るとタッサンから伝えられたネイサはここでの暖かな日々からまた抜け出すことになるのだと思いながら頷いた。ジュナンの傷も癒えて、調子を取り戻しているところである。
 冬晴れの空に、初雪がかぶった地面は広い。
 タッサンとジュナンに加えてネイサも馬を一頭セハの家から貰い受けて、三頭の馬で出立した。
 ライケン領の端は岩が切り立って、山のようになっている。見通しのききにくい場所でもあった。
 馬の蹄が地を蹴る音ばかりが響く。雪のせいか、音が吸収されて静かに聞こえた。
 ぱらぱらと雪が降り始めてネイサは上を向く。ひゅんと、劈くような音がして、次の瞬間、タッサンの馬が止まった。
「タッサン!」
 ネイサが呼ぶと振り返ったタッサンの片目には弓が刺さっていた。自分の線上にいたタッサンに
弓が来たということは、狙われていたのは自分であろう。
「走れ!」
 タッサンはそれでも強い声でそう言い放った。
 馬を駆り立てる。
 大丈夫なのだろうかという思いは手綱を握る手にうつる。でも、走らねばならない。前を走るジュナンが矢の来た方向を確認して叫ぶ。
 そこには追者の姿がある。もう彼等は矢をつがえていなかった。こちらを探っているのだろうか。
「止まるな、キゼン」
 タッサンはついてきているということだ。ネイサは走りながら思わず振り向いた。
 目に突き刺さった矢をタッサンは左手でぐいと引き抜く。吹き出た血が服を汚す。タッサンは眼球ごと矢を捨て、そのまま馬を走らせる。瞑られた目からは血が流れていた。


     ■


「重臣が次々と姿を消しているという噂は?」
 癖っ毛の前髪を掻き上げながらサラハが細目の男、シンヤに問う言葉が廟堂の一室に響いた。書棚には沢山の文書が詰められている。
「もちろん、聞いています」
「対処をつけるには帝を立てるだけでは済まないでしょう」
「新たな帝の身が狙われればまた混乱が生まれるだけですからね」
「私達の身もいずれ狙われるでしょうから、早めに決着をつけねばならない」
 命を狙われていることなどさして気にはしていないという顔をした二人は視線を交わす。
「ネイサ様のご動向は」
 サラハが言う。
「ライケンのセハ殿から早文が届きましたよ。無事越境はするでしょう」
「二人も無事で?」
「はい。ライケンに来た時は片方が重傷を負っていたようですが」
「では国外に出すという策は一先ず成功か」
「後はどう帰すか、ですが」
「ネイサ様が帰る力をつけねば私たちも受け入れようが無い。それに恐らく一筋縄ではいかないでしょう、今の状況では」
 豊作祭で帝とその弟を失った今、国の機能を担っているのはほとんどがシンヤとサラハだった。そして帝の地位を守っているのは一人の帝姫、センである。セン姫の婚約話を望む声が多くあるが、それを断っているのはセン自身であり奥御殿に引きこもっているセンに強く言えないのはどのものも同じだ。
 帝とネイサの命を狙った者の首級達は未だに廟堂の中にいる。実行者は取り押さえられ牢に入っているが、それで終わりではない。
「狙いを知らねばなりませんね。相手の」
 サラハの言葉にシンヤは頷いた。
 首級たちの望みがなんであるか、そしてその顔ぶれもまだ完全にはわかっていない。帝の暗殺が為されたのはシンヤが裏で糸を引いたからだ。元々帝はあの祭礼前に死していたのだ。ネイサはそれを知らず利用されたに過ぎない。さらに国民も、首級達も同じである。
 ヨウカ帝の死は国を動揺させる。だからこそ、あのような形でシンヤは死を知らしめた。
 その手腕にはサラハも驚くほどであったが、彼も同じく共有者であり、国の行く末を案じている一人であった。
 元々、ヨウカが数多の戦により領土を広げている時から廟堂には反逆の風が暗躍していた。ヨウカが急死しなければもっと違った形で首級を上げたものの、ヨウカの死により、シンヤ達はとにかく血を絶やさぬように国外へとネイサを逃亡させたのだ。
 国の外ならば、少しはネイサを追う者も減るだろう、そう考えた。
 その時、戸が叩かれ一人の伝令がシンヤに言葉を残していった。
「どうやら、相手は手段を選ばないようだ。国兵の隠密を出しました」
「尻尾を掴むくらいはできそうだ」
 サラハはにこりと笑う。
「国外での国兵の使用には許可がいる。一旦全て中止させましょう。駐屯は決まった地区にありますから有事の際はわかるはずだ」
「わかりました。そのようにしましょうか」
「その国兵は?」
「ライケン領に留置させています。セハ殿がどうやら事の次第を見ていたようで。領内で人を傷つけたという理由で留めているようです」
「あの娘も中々頭が良い。だからこそネイサをこの一月の間守ったのだろう」
「ライケンの自治はあのセハ殿が握っているようなものだと聞きます」
「末恐ろしい娘だ」
 ヨルガもまた、再びその機能を取り戻すべく残された臣下達は骨を折っていた。ただ立ち止まるだけというのは国の死を意味する。だから歩くのだ。
「ヨルガを取り戻すのに力を借りるかもしれませんね」
 シンヤは微笑むと、ふと息を吐いた。日頃肩の凝るような仕事ばかりしているからか、目頭を押さえる。
「お疲れですか、少しお休みになっては」
「ええ、帝が身を持って教えてくれたことですから、休むことは必要だと」
「そうして下さい。それでは、失礼します」
「お気をつけて」
 サラハはシンヤの政務室を辞した。廊下に控えていた私兵と共に廟堂を出て私邸へと戻る。
 邸に戻ると妻が出迎え早々に人が来ていると伝えてきた。誰かと問う前に、サラハの元にその人が現れる。
「ご無沙汰していますサラハ殿」
 白皙の顔に、萌葱色の瞳を静かに湛えたユンが立っていた。
「随分と急だな。いつ帰ってきていたんだ?」
「つい先刻。帝の崩御と弟の逃亡の次第について聞きまして」
「それで、私には何を聞こうと?」
「ネイサ様が心配です。武の心得は余り無い方でしたから」
「それについては、そうだな、座って話そう。泊まるなら用意をさせるよ」
「お言葉に甘えさせて頂きます」
 茶の用意と室を取りなして侍女が出ていったのを確認すると、二人は向かい合わせた。
「まず、何から話すべきか。どこまで知っている?」
「ヨウカ帝とネイサ様が豊穣祭にて暗殺者に亡き者にされたと。ですがそのネイサ様が生きておられるらしいという話はセハ殿から聞きました」
「情報源がセハならいいだろう。共犯者になる覚悟があるならば話そう」
「共犯者、ですか」
「国と帝の血を護るためのね」
 ユンは元々この国の兵ではなかった。旅の大道芸一座に加わって諸国を周っていた所を将軍に気に入られ兵卒の隊長として召し上げられたのである。
 だから、この国に恩こそあれ、恨む部分はなかった。
「私はこの国の兵になった時から帝を護るためにあります。ならば共犯者でも密偵でも、何でもなりましょう」
 サラハはふふんと笑うと、手をうった。
「その言葉を待っていたよ。君なら言うとは思っていたけれどね」
「そうですか?」
「君がその気なら、全て話して頼みたいことがある」
「なんでしょう。まず話について聞かせてください」
「帝は暗殺されるまえに既に薨去されていた。その死は国を乱れされるとお考えになったシンヤ殿が皆を謀ったのだよ」
 帝は死に、その死を祭礼まで隠し、祭礼の日にわざと警備を緩くして影武者として立てた者を殺させた。謀反者達はしばらくの間、帝と弟を殺したと勘違いする。時間稼ぎをしている間にネイサを逃す。そしてネイサは既に越境している。
「ネイサ様にはいずれ戻ってきていただきたいと考えている」
「それで、どうするおつもりですか」
「君にネイサ様を遠くから見守っていてほしい」
「と、いいますと護衛ではありませんね」
「あぁ。国外に動かせる兵はいない。私兵に腕の立つ者がいればいいが、内容は話せないからね、君しか頼む人がいない。国外での生き方も君なら知っている。長い任務になるだろうが、了解してもらえるか?」
 ユンは是と頷く。
「シンヤ殿にはまた、長期の任務に出るとお伝えください。この後すぐに出立致します」
「あぁ。君の率いるカガン隊も副隊長に任せれば大丈夫だろう、何か伝えておくことはあるかい」
「いえ、通常通りに過ごしてくれと。あとはヒョウ将軍の麾下ですから、任せます」
「わかった。こんな頼みを聞いてくれて悪いね」
「いえ。私は一つ所に留まる人間ではない。国を行き来している方が性に合うようです」
 ふわりと薄い肌色の唇を笑わせ、ユンは立ち上がる。
「それでは私はお暇いたします。泊まる用意に加えて旅支度までさせて申し訳ない。どうか、お元気で」
「君の元に武運があるよう」
 ユンはサラハの妻に簡単な食事と旅支度を渡されて、廟堂の兵舎から私物をとって身を整えるとすぐにライケン領へと旅立った。
 サラハがユンに頼んだのはネイサの遠巻きになっての動向調査と謀反人を上げることだった。
 兵舎に向かってまず感じたのは軍の規律が乱れていることだった。ヒョウの部隊はその限りではないが、兵の乱れは国の乱れである。副隊長にもその旨を言うと彼も苦笑して答えた。
「帝が薨去なされて皆誰のために戦うのか曖昧なようで。国が揺らいでいるようです。新たな帝を立てようという叛乱の動きも出ているようですし」
「叛乱?」
「ヨウカ帝のやり方に反対をしていた他国から入った文武官達ですね大半は」
「ヨウカ帝もそれをおさめながらやっていたからな」
「ですから、亡くなった今が好機だとセン姫に婚姻の申し出が各所から」
「そうか」
 セン姫が婚姻すれば事実上次の帝はその夫である。血族を残すというのはそういうことだった。
「ヨウカ帝の支持者はそれに納得ができない所があるそうで。男の血が途絶えた今、セン姫が男子を産むまではセン姫が帝の代わりをすることを望んでいるようです」
「だがそのセン姫は奥御殿に引きこもって出てこないと」
「ええ。セン姫も突然兄弟を喪って思う所もおありでしょうね」
 そう、セン姫はネイサが生きていることを知らないらしかった。シンヤが伝えていない意図はわからないが、ネイサが生きていることを知ったセンが軽挙妄動を起こさないようにといった所だろうか。いつ、伝えるつもりだろうあの男は。細目の何を考えているか悟らせないシンヤの顔が思い浮かぶ。
 ヒョウは出払っていて会えなかったので、副隊長に暫く空けるので部隊を頼むとの言伝を残してユンは廟堂を出た。
 馬を駆って昼夜走る。ライケン領までは距離があったし、ネイサ達がそれまでにどれ程移動するかはわからない。一人旅は慣れたものであるユンにとっては任務の合間とはいえ気の休まる時であった。
 彼等の足取りを追っていると幾つかの戦痕が見られた。ユンは影の物であるタッサン程痕を読むのが得意ではないが、それでもわかるという程度の戦いの痕はあった。煮炊きの痕も消してはいるが、見つけられる。この時期に北へ向かう者は少ないし、読み取るのも楽だ。
 ライケンには思ったより早く到着した。天候が良かったせいもあるだろう。
 雪が図ったように降ってきて、川にかかった橋をそのまま通り抜けようとすると、こちらに声が投げかけられた。
「何者だ! 止まれ」
「ヨルガ国傭兵のユンです。ここを通して頂き越境の申請をしたい」
「通れ。越境の申請が通るまでは刀を預からせてもらう」
「わかりました」
 橋を渡り、ライケンの領印を確認してから双剣を渡す。もちろん懐刀は隠したままだった。
 領内に入って越境申請ために関所に寄る。人も疎らだ。ライケンは自治を持っているから、通り抜けには関所の認印が必要である。申請も早く通るだろうと思っていた所に見知った姿がいた。
「あれ? 見た顔ですね」
 あちら側から話しかけてくる。セハであった。
「どうも」
「早文でも出してくれたら、何も無く通しましたのに」
「急ぎだったもので」
「そうか。キゼンのことですね?」
「キゼン?」
「あの子ですよ。あなたのよく知る逃亡中の身である」
 ネイサだろう。周りの誰が聞いているかわからないから伏せているらしい。それにしても別の用という考えはないのだろうか。
「どうですかね。まぁ、他人に言うような用ではありませんが」
「ではまた諸国行脚ですか?」
 大道芸一座に入っていたことを揶揄されている。ユンははぁとため息をついた。
「そんなところです」
「旅の支度もお済みみたいですし、私ができることはありませんね……、ただ、キゼンには気をつけてあげて下さい」
 ユンが答えずにいるとセハはそのまま言葉を続けた。
「あの子は危うい。見かけだけは立派だがその実幼子のようなものです。それでは私はこれで」
「ええ、どうも」
 ユンが頭を下げるとセハは懐から何やら紙を取り出した。紙には通行許可印が押されていた。
「どうぞ、好きに通って下さい」
「いいんですか? そんな簡単に通して」
「知古の仲でしょう、水臭いこと言わないで下さいよ」
「それはありがたい話だ。瓢箪から駒のようなことを言う」
「またまた、それでは」
 今度こそセハは背を向けて去って行った。
 武人であるもの同士お互いのことは知っていて、ヒョウの引き合わせにより廟堂で顔を合わせたこともある。
 あのじゃじゃ馬に果たして夫が来るものだろうか、と妙齢になったその立ち姿を見て思う。男のことを男とも思わぬような剽軽な態度に大抵のものは面食らうのだ。
 ユンは通行許可印の記された紙を手に関所を後にした。
 雪のちらつく中、馬を急かせると近くの木陰に捨てられた矢が目に入る。馬を止めて降り、よく見ると鏃には目玉が突き刺さっていた。誰かが、否嫌な予感は当たるものである。これはタサンかジュナンか、ネイサのものか。
 ライケン領の国境から一番近い国はエラウという。商業の発達した土地である。医療も伴っていて、出入りしている腕の良い医者がいるとは聞く。ここからの距離ならなんとか持ち堪えるだろうか。早く追いつかねば。
 ユンも深い森へと飲まれて行った。

 第一章 了