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永別



 東方の国リョザンでは、国兵が戦の支度を整えていた。
 王リョウヨウは過去ヨルガにとられた領土を取り返すつもりである。ヨルガ国の帝が死んだという話はリョザンにも届いていた。
「出撃の準備は整っております」
 兵が王に告げる。
「最後通牒の答えが来たら動くか決める。それまで万事待機せよ」
「はっ」
 兵が下がった。リョウヨウは不敵な笑みを浮かべながら顎に手を当て横にいた側近に言う。
「答えの期限は夜だったか」
「はい。未だ来ておりませんが後二刻半です」
「祝杯を上げる準備をせんとな。帝を喪った今、あの国の統制は取れていないのと同じ。今は南方と戦争中、そこを付けば瓦解は早いはずだ」
「そうでございますね。後は答えを待つのみです」
 茅葺きの家々は皆が山へと逃げる準備をしていた。戦となればあのヨルガだ、村に入ってくるやもしれぬ。だから皆が恐れていた。いくら帝が亡くなったとはいえ、兵力は凄まじい。それは前の戦を経験していた男たちが知っている。その男たちも今や国に駆り出され、戦の準備をしているのだ。
 リョザンは動乱の最中にあった。
 戦は恐ろしい。人も土地も壊してゆく。何もかもが更地になってしまう。心も、時も、失われてしまう。だから、リョザンの民は今か今かと恐ろしさに怯え、山へと長蛇の列を作って逃げているのだった。
 そんな中、三人の年若い男女は西へと向かっていた。ミン、エイキ、ヨジャである。皆、幼い時に戦争孤児になってこのリョザンで育てられた子供達だった。三人は元々この土地の者ではないらしいということは知っていた。のっぺりとした顔つきとは違う、目鼻立ちの目立つ顔をしていたからよく村の子供には除け者にされたものである。
 ヨルガと戦をすることになると知ってから、三人はこの国を出る準備を始めた。もっと他の国を見たかったし、自分達の出生地を知りたかった。西であるとだけは聞いていたから、三人は西を目指すことにしたのだ。
「本当に行くの?」
 一人、女子であるミンが不安そうに言う。いくらいつも一緒だったエイキとヨジャがいても子どもたちだけになるというのははじめてのことだったから不安だった。
「今行かないでいつ出るんだ。どうせいつもなら親父にどやされて止められるにきまってる」
「大丈夫だよミン。三人でいればなんとかなる」
 涼しい顔をしたヨジャがやんわりと答えた。
 ミンはうつむくと頷いた。
 たしかに、育ててもらったけれど、決して良い待遇とはいえなかった。他の子供のように遊べなかったし、いつも家事を手伝わせられていた。人形だって買ってもらったことはない。
「うん。三人なら、大丈夫よね」
「そうだ、何かあったら三人で解決すりゃいい」
 快活そうなエイキが言う。村では目立つ珍しい緋色の髪が靡いた。
「俺たちはこの国を出て本当の故郷を探すんだ」
 エイキの瞳は真剣だった。村ではいくら立派に仕事を果たしても除け者のままだ。だから、新しい居場所を求めて動乱の最中に三人は旅に出ることにしたのだ。
 ちょうど兵役は逃れられる年だった。まだ若い。だからこそ今しかなかった。また再び戦争が行われるとなったら今度はこうはいかない。
 三人は山間の道へ向かって歩きすすんだ。


     ■


 義理堅いつもりではあるから、力は貸してやりたいと思っていた。
「なんだ、こんな夜中に難しい顔して」
「親父」
 居間の囲炉裏が二人の顔を照らす。
「ちょっとな」
「なんだ、俺に話せないことか。女でもできたか?」
「違ぇよ」
 親父は胡座をかき、その膝に肘をつくと面白いものを見つけたように笑う。
「話してみろ。俺が口のかたいのは知ってるだろ」
「そりゃよく知ってるけどよ」
 燭台に乗る蝋燭の灯りが揺らめいた。室には二人の黒い影だけが浮かび上がる。
「そんなに言いづらいか」
 言いづらいというほどではない。否、言いづらいかもしれない。
 この国を出ようというのだ。一月程前からずっとタイゼンは、親父に言う踏ん切りがつかないでいた。
 この国を出て叛乱を企てようと思うんだ。いや、そうじゃない、この国を出て少し旅をしたいんだ。こうだろうか。
 どちらにせよ、タイゼンの頭の中には正しい答えなど浮かんでこない。考えれば考えるほど坩堝に嵌まるような気がした。ならば、いっそ。
 タイゼンは口火を切ってやっと答える。
「いや……、ここを出ようかと思って」
「そりゃなんでまた」
 タイゼンは言い淀んだ。叛乱の話を言っていいものか、まだ迷っていたのである。
「友達に誘われたんだ、少し旅をしないかって」
 まだ、迷っていた。このまま親父を置いて行っていいものかどうか。親父はそれなりの歳になる、今年で六五だった。タイゼンを拾ってくれてから十数年がたっていた。
「旅か。いいんじゃないか?」
 意外な返答にタイゼンは顔をあげる。親父はにかっと笑っていた。
「お前は何かと浮浪な生き方をしてるが、国を出ない。何か理由でもあるんだったら別だが、俺はいいと思う。旅はいいもんだと聞くしな。俺も装飾品のために師匠について旅に出たこともあったもんだよ」
「そう言ってたな。俺は、なんの理由もないから国を出なかったんだ」
 親父が旅に出たという話は耳にタコができるくらい昔から聞いていた。その時のことを親父は鮮明に覚えていたから聞いているこちらが旅をしているような気にさせられる。幼かったタイゼンにはとても面白い話で、憧れたこともあった。
「理由ができたんだろう?」
 タイゼンは頷く。
 彼らと共に生きたいという思いは知らないふりができないくらい大きくなっている。そしてヨルガへの憎しみも無視できないくらい膨らんでいた。
「じゃあ行ってみたらいい。行かぬ後悔より行く後悔だ。いつでもここに帰って来ていいんだ。だったら行くより他ない」
 親父はここ一番優しい笑顔でそう言う。
 タイゼンは口を結んだ。ひとつ瞬きをしてからまた口を開く。
「ありがとう、親父」
 帰って来ていいと言われることは期待していなかった。いくら育ててくれたといっても間借り程度の関係だと思っていたからである。成人してから間借りを言い出したのはタイゼンの方であったが。
「なに、お前は俺のうちで育ったみたいなもんだ。子供の帰りはいつまでも待ってるよ」
 タイゼンは口を片手で覆ってから隠すように肘をつく格好に戻す。
「じゃあ、俺支度するよ」
「あぁ。冬なんだから暖かくしていけよ。風邪ひいたらたまらんからな」
「はは、わかってる」
 タイゼンにとって、親父は大きな存在である。だから、その親父が納得してくれるというのはタイゼンにはとても重要なことだ。親父は早くに妻を亡くし子も設けていなかった。だからこそといえばいいのか、実の子のようにタイゼンを育ててくれたのだ。
 だからタイゼンは今、ひょっと間違えたら泣いてしまうかもしれない程、親父に感謝していた。自分を認めてくれたような気がしたからだ。はじめてそう思えた。事ある事に親父の背中を追っていた幼いタイゼンとしてではなく、自立して独りで歩くタイゼンを、認めてくれたように思ったのである。
 タイゼンは室に戻ると元々まとめてあった旅道具の確認をする。
 寝台はきれいに畳んでおいた。長く空けるのだ、室はきれいにして行くべきだろう。
 矢立に懐中鏡に手帳、扇子、髪紐、火打道具に付木、着物と薬、印版、金子、干物、それらを布に包み麻綱でまとめる。旅道具の出来上がりである。
 おまけに、タイゼンは室の剣掛に置かれていた剣を取った。昔、本当の親父から貰い受けたものだった。本当の親父はもういない。母親もつられるようにして亡くなった。しがらみもなにもなかった。あるのは戦の仄暗い記憶だけである。
 親父がおまけに施してくれた装飾がある一点物の剣だ。タイゼンはそれを大事そうに腰に佩いた。
 夜明けが近い。タイゼンは身支度を整えると親父に最後の挨拶をして家を出た。親父は笑顔で見送ってくれた。
 朝陽が東の空から昇ってくる。眩ゆい明かりに思わずタイゼンは目を細めた。人のいない戸のしまった店屋町を歩き進め、目的である茶屋の裏戸を叩くと中から音がして戸が開く。
「早かったな」
 サゼムだった。
「もっとかかるかと思ったぜ」
 そういう彼に笑って返すと、中に入れと促される。数人が小じんまりとした居間で雑魚寝していた。昨日からかここにいたらしい。薄い布がけをかけて転がっている。
 サゼムはそんな男の山を踏み越えて茶を持ってきた。茶菓子もある。その物音に山のうちの一人が起きた。カラヤだ。
「よぉ、やっと来たか」
 起き上がり胡座を組むと、カラヤは眠そうな目をタイゼンに向けて言う。
「おはよう。サゼムは早かったっていってたがな」
「俺は待ちくたびれた」
 欠伸をして、ぼりぼりと頭を掻く姿は気が抜ける。
「お前は気が早いから」
「早くねぇって」
 目を擦りながら起き上がったカラヤの目がやっと起きる。
「親父さんなんて言ってた」
 タイゼンは少し黙ってから、ふと笑って答える。
「旅はいいことだってよ」
「あの親父さんもいいこと言うじゃねぇか。俺の親父なんて猛反対だったぜ」
 カラヤは卓に置かれた茶をぐいと飲むと溜息を吐く。
「剣を持ち出すのに苦労したよ」
「そりゃご苦労だったなぁ」
 そういえばあのキゼンも剣を持ったのだなと思う。あれから二十日は過ぎていた。毎日雪掻きやら露店やらの手伝いをしていて忘れていたが無事に剣は受け取れただろうか。
 エラウではまだ剣は贈られぬ歳だ。若いのになにを苦労しているのか。詳しくは話していないからわからないがひとところに留まる風貌には見えなかった。
「どうした」
「いや。なんでもない」
 タイゼンは首を振った。今はキゼンのことを考えている時ではない。
 奥から戻ってきたサゼムが座って言う。
「三日後には出ようって話だったけど早くてもいいかもな。タイゼンも揃ったことだし」
「今日出るか?」
「いや、皆の支度が整ってからにしたいから明日かな」
「エザログか……遠いな」
 タイゼンがぼそりと呟く。
 エザログとはエラウから見て北西にある大国だった。
「なに、南よりは近いさ。南は戦争中だし、西にも少しは叛乱の動きが出てるって甥っ子が言ってたよ」
「そういう連中の文も多くあるだろうな」
 鷹飼をしているという知り合いは甥っ子だったらしい。
 サゼムの言葉にカラヤは頷く。
 だからそういう連中というのも集まりやすいということである。叛逆を企てようとしている者達皆が個人で鳥便を所有できる訳ではないのだ。
「情報が入りやすい。それじゃぁ明日出立ってことで他の連中にも伝えてくるよ」
 そう言ってサゼムは家を出ていった。ここにいない仲間も明日には出立である。
 日が暮れるまで、一日の間に仲間が集まった。
 皆旅支度をしているからサゼムの家の居間はむさ苦しいことになっている。藁を編んだ敷物の上に男たちの旅支度がどんどんと積まれていった。
 がやがやと話したり野次をとばしたりしながら彼等は荷物を整えた。
 いよいよ自分が国を出るのだと思うとタイゼンの心の臓も鼓動を早めていた。
 居間に皆が揃ったのを確認してサゼムは強い声をあげる。
「今日が出立の日だ。覚悟はいいか」
 咆哮のような男たちの勇ましい声が連なった。タイゼンもそのうちの一人だった。皆が皆、戦になることを覚悟した。叛乱とはそう言うものである。どこまでうまくいくかはわからない。ちょっとした場所で終わってしまうかもしれない、それでも、彼等一人ひとりが国を守りたいと願ったのである。
 その日の晩は軽い宴会騒ぎになり、皆早々と眠りについた。
 早朝、一行は馬に乗ってエラウを出ることにした。歩き旅という案もあったのだが、エザログには急いでいく方がいいだろうということになったのだ。
 タイゼンはエラウ国の中ならよく歩き回って方々行ったことがあったから、タイゼンを先頭に、早道を駆けた。一番早く出れる道を通るのである。
 四つ宿場と山を越えて、タイゼン達は順調にエラウの端までやって来た。
「ここを越えたらもう国外だ」
 馬を止め、向こうに見える関所を前にしてタイゼンが言う。
「なに、そんな肩肘張らんでも俺たちはエザログに行くだけだ」
 ストヲが気楽にいけとばかりにタイゼンに答える。
 タイゼンははじめて国をでるから、少し強張っていたのだろう。自分を思い直し一つ深呼吸をすると、言う。
「そうだったな。行こう」
 関所は問題なく通れた。旅装束であったし、旅に剣は付き物。それにエラウの住人が一人前になると剣を贈られるのは関所の人間には周知の事実だったから、まさか叛乱を起こしにいくなどとは思わなかったのだろう。
 関所を通るとタイゼン達は一番近くにあった大きめの宿で一息いれる事にした。
 幸い冬の宿は混み合っておらず、タイゼン達一行がいても十分部屋は空いていた。大部屋に通してもらい、皆が腰を落ち着ける。すぐに眠り始める者もいた。
 木造の宿は人がいないせいか、静かである。


     ■


 ヨルガ国では、セン姫が帝の座す玉座に座り、悲痛な表情を浮かべていた。
「国を、割譲しましょう」
 響いた声は憂いを隠したしっかりとした声だった。
 この夜を無事に越えなければヨルガは攻められる。そうなれば国は鎖が揺れるように揺らいでいくだろう。ならば、今これを止めるにはこの方策しかないと思った。もう戻ることは出来ないのだ。
「よろしいのですか?」
 シンヤが細い目をさらに細めて尋く。
「ナイラと戦争中の今、避ける兵力は少ない。兵を分散させるのは得策ではありません。ならば、渡すしかない。でなければ隙を突かれて瓦解します」
「そうですね。では文には割譲を条件に進軍を止めてくれとの文言を」
 書記官がシンヤの言葉に書を認める。
 書は閉じられるとヨルガの印で封蝋された。近くに待機していた早駆けの物に書状をいれた箱が渡され、早駆けの者は玉座の間を辞して行った。
 後は無事これが届くかどうかである。
 戦をする為だけに期限時刻に届かなかったといって宣戦布告を叩きつけられるかもしれない。セン姫は自分の力不足に頭を抱えたい思いだった。ヨウカ兄上なら、もっといい策を考えられたかもしれない。けれど、今はいない。弟すら居なくなってしまった。帝になる血族はセン一人ばかり。
 ヨウカは昔から頭の切れる人だった。けれど、人一倍民のことを思っていたし、家族のことも不器用なりに思っていた。あの兄上が亡くなったと言う事実はセンがどこにいてもつきまとうのだ。そして、今度は矢面に立たせられた自分が、何もかもしなくてはならなかった。女が帝の真似をすることに反発を持つ者もいたし、早く婿をとれと言う声も多い。
 そんな声に耳を背けられたのは一つの吉報のおかげだった。
 奥後殿の女兵が告げたのだ。
「ネイサ様は生きておられます」
 その言葉の大きさはセンにとっては天より高かった。「嗚呼、生きているのね。どこかで無事に逃げ延びているのね」とそう思えるだけで力が湧いた。
 あの子を待てばいい。そうしたら、帝にはあの子がおさまる。
 その希望だけでセンは生きることができた。ヨルガの為に、自分のために。
 皆には言えない。言えば反対派がまたネイサの命を狙うだろう。だから、本当の秘め事だった。玉座の上で刺すような視線にもぐっと堪える。女兵もセンの出入りには常に控えていたから少し安心できた。
 高官達は玉座の間に出入りしていた。そのうち一人が、玉座の間を出て行く。
 城の中庭へと足を運んだ。
 草木の生い茂る庭園の中、数人の高官が煙管を燻らせていた。
「どうでした」
「国を割譲するようだ」
「国力を失うか。それも居た仕方ないか」
「それで、報告はコサの仕留めにより一体。ただ、狙いは仕留められておりません」
「ふむ、やりそこねたな」
「次はハルバドで仕留める予定です」
「なら、計画どおり殺れと伝えろ」
「畏まりました」
 ジユザヌの言葉に一人の高官が去って行く。
 あれは早駆けを務めるものだった。高官のふりをしてここに入り込んではいるが、その実高官ではない。もしもの時はジユザヌの配下ですと言えと伝えていた。
 さて、ここに集まっているものはヨルガの転覆を狙っているもの達である。
 ジユザヌはヨルガの高官であり、願わくばヨルガの帝に自分の息子を立て、政治を受け持ちたいと考えていた。
 だが、セン姫が頑なに求婚を固辞しているのは、事実であり、自分の息子を充てがうのも難しい状況だ。
 それに、あのネイサが生きているのだ。だから、あれを殺して首を持って来ぬ限りあの頑固なセン姫が求婚に頷くことはないだろう。なんとしてでも、政治を立て直したかった。
 ならば、やることは一つ。殺るだけである。
 影の者も幾人かこちらについてくれた。だから、やりやすくなったろう。
 高官の仮面を被って尻尾を出さぬようにするのは疲れるものだ。だが、それ以上に興奮が勝っていた。ヨウカ帝が作り上げた馬鹿馬鹿しいヨルガを屈服させるのも間近なのだ。これ以上に面白いことはあるだろうか。


     ■


 エラウの端へやっときて、ネイサは関所を見る。ここを越えればエラウではない国に行けるのだ。
 ここへくるまでいくつかの村を転々として、随分楽しい旅をした。タッサンから真剣での手解きも受けたし、ジュナンから教えてもらっている弓はあまり上達しないが、それでも旅の術も沢山教えて貰った。今やネイサが鳥や兎をうって食事を整えることもできた。
 タッサンには早鳩の扱い方も教えて貰った。毎日餌をやること。しかし満足には与えないこと。指笛を鳴らすと帰ってくる。色のついた餌があって、それにより、行く場所が異なるのだという。いくつもの色付きの餌に、はじめは見分けがつかなかったネイサだが、なんとか覚えた。
 その色ひとつひとつが行く場所を示しているのだという。その中にはヨルガ国シンヤというものもあった。今すぐ文を飛ばしたい気分に駆られたが必要のないときに飛ばすなという言葉の元我慢した。
「いよいよエラウを出るね」
 ネイサは二人に呼びかけた。
「あぁ、いよいよだ次の村についたら宿に行こう」
「うん!」
「そこで少し休みましょうか」
 空が曇ってきていた。ぽつりとネイサの顔に雫があたる。
「雨だよ」
「早く宿に行かないとな」
 関所に進む。どこの国のものだ、という問いにタッサンはエラウだと答えた。関所を二人が通されネイサが残される。
「どこの国のものだ」
「エラウです」
「エラウにしては剣を持つのが早いな」
「旅をするからって、早く頂いたんです」
「ふむ、まぁ通って良い」
 タッサンが先に印判を見せていたからか、少し止められたものの通ることができた。エラウでは剣を持つ時期が決まっていたらしい。ネイサは内心冷や汗をかいていた。
 だが、その時だ。
 木陰から躍り出た槍が、タッサンの馬を襲撃したのは。
 馬は崩折れ、タッサンは落馬した。受身はとったようだが、起き上がる前に、タッサンは槍を突きつけられていた。
 槍を持っているのは賊の格好をした女のようだった。
 ジュナンが矢を番えるより先に、女は起き上がれぬタッサンの首に槍を突きつけた。タッサンは寸での所で頭を逸らし、急所を避けた。しかし女の槍はタッサンの首筋を切り裂いていた。
 女が突き出した槍をタッサンは避けたと同時に掴み、引き寄せた。それから再び剣を浴びせる。女の左脇が赤く染まった。女は槍をぐいと抜くと、そのまま身を引く。タッサンの掌が血で染まった。
 ネイサは馬を急かす。
 タッサンは敵から目を逸らさない。
「逃げなさいキゼン! 走れッ!」
 ジュナンの叫び声がした。
 でも、ネイサは馬を止めた。タッサンの近くで馬から降り立ち、震える手で剣の柄を掴む。
 タッサンが起き上がった。首からはどくどくと血が吹き出ている。
「まだ立つか」
「う、うおおおおおおおお」
 タッサンは剣を切りつける。
 剣は女の足を掻き割いた。
 騒ぎを見た関所のものが、駆けてきた。
「ちっ、これまでか」
「コサ! お前ぇえ!」」
「ふん、国の中までは見ないふりをしてやった。義理は通しただろう」
 ジュナンの矢が放たれたがそれも槍がはたき落とす。もう一矢が放たれた。コサと呼ばれた女の左肩に刺さる。
 コサは矢を乱暴に抜き取ると、槍を持ったまま木陰へと逃げ延びていった。
 ネイサは震えていた手を柄から離し、タッサンに駆け寄った。
 タッサンは剣を持ったまま膝から座り込んでいる。首から流れ止まらない血がタッサンの衣装を赤く染めていく。
 懐にあった布でタッサンの首を押さえつけた。でも、タッサンの手がそれを退かした。
 タッサンは首を振る。そして、自分の剣をネイサに持たせた。
「タッサン! 傷を手当てしなきゃ」
「いい……けん、もっ、に、げ」
 息も絶え絶えに、声も掠れて弱々しい。
「医者を呼ぶ」
 関所の者が言う。
 タッサンは首を振った。
「に、げろ、キ、ゼ……」
 タッサンの言葉が終わらないうちに、ばたりと、タッサンは前に伏した。ネイサはキゼンと彼が最期に呼んだのが悲しかった。嗚呼、僕はキゼンなのだ。ネイサではないのだ。
 タッサンにとって僕はキゼンだった。
 タッサンは、ネイサのせいで、死んだ。
「タッサン、タッサン!」
 キゼンはタッサンの名を呼ぶ。
 だが、二度とタッサンの声が帰ってくることはなかった。
 指を握っても、反応は帰ってこない。だんだんと温もりが消えていく。タッサンは、死んでしまった。
「タッサン……、タッサン!」
 コサを途中まで追ったジュナンが戻ってきて、ネイサの肩に手を置く。
「キゼン」
「……タッサンが……」
「うん。そうだね」
 キゼンが顔を上げると、ジュナンは涙をこぼしていた。鼻を赤くして、堪えるようにただ涙だけが流れた。
「どうされますか」
 関所のものが聞き辛そうに尋ねる。
 雨がいよいよ本降りになろうとしていた。地面の土を抉るように雨が降ってきていた。
「遺体、お願いできますでしょうか」
「あ、えぇ構いませんよ。こちらで引き取れますが」
「では、お願いいたします」
 ジュナンはタッサンの腰から荷物を解くとそれを自分に括り付けた。それから腰にあった鞘を抜き、キゼンに持たせる。
「剣はキゼンが」
「うん……」
「持って行きなさい」
 涙声が、強く訴えた。
 キゼンは、茫然としていた。心は悲鳴をあげているのに、涙も出てこない。辛くて苦しいのに嗚咽さえ漏らせない。ただひたすら苦しかった。
 関所のものが麻の布にタッサンを転がし、包んで持って行く。
「賊はよく出るが、こんな目の前でやられるのははじめてです」
 賊狩りがこれから始まると役人たちは言っていた。衛兵を呼びに行った早馬が駆けて行く。
「守れず申し訳なかった」
 役人たちはそう言ってタッサンを持って関所の方へ帰って行った。
 本当にタッサンは目の前から消えてしまった。つい今しがたまで話していたのに。
 涙も出ないネイサのかわりに、空が泣いていた。
「行きましょう」
 ジュナンはもう泣き止んでいた。涙を拭うとキゼンを立ち上がらせる。キゼンは背中にタッサンの剣を背負い、紐で固定すると馬に乗った。
 ジュナンが先を行く。キゼンは蒼白な顔で、ついていくのが精一杯だった。どうやって宿までついたか、記憶が曖昧である。ただ、雨だけが身体を冷たく濡らしていたことは覚えている。
 室に通されたが、タッサンのいない室にジュナンといるのが辛くて広間に出てきた。椅子に腰掛けて、額に手を当て、肘をつく。
 なんで、どうして。僕のせいで。
 そんな言葉ばかりが頭の中を反芻してどうしようもなく辛い。
 ネイサのせいだ。
 ネイサが強くなかったから。タッサンを殺してしまった。
 キゼンである自分にはどうしようも出来なかった。
 タッサンの死はネイサに重くのしかかる。


     ■


 コサは走っていた。
 左脇と左足、それに左の肩が燃えるようだ。止血はしたが凹凸のある森の中を枝葉に抉られるようにして走っているからどんどんと血が滲んできていた。
 昼間だというのに、雲が空を飲み込もうとしていた。
 コサが逃げたのは確実に不利だからである。ネイサは剣を持っていたし、タッサンも掴みかからんばかりの気迫だった。死んだかはわからない。だが、首の真横を切ってあれだけの出血だ、神がいたずらでもしなければ死ぬだろう。
 コサがついているのは叛逆者達の元だった。
 それまでヨウカ帝の手足としてタッサンやジュナンと任を共にしていたが、帝が死んだと報ぜられる前に、コサは鞍替えを決めた。鞍替えを決めたのはひとえに、ネイサが帝になることに不安を感じていたからだ。ネイサはヨウカ帝のように圧制をしく人物ではないし、戦も起こせぬような気弱な少年だった。
 だからコサは、今一番帝としての地位に上り詰めそうな男に鞍替えすることにした。男は老獪で、狡猾だ。だからコサの鞍替えもすぐに歓待してくれた。それは恐らく、使える手駒が増えたという喜びの元にあったのだろう。
 ネイサはあの式典で殺される予定であった、あの男の計画によれば。しかし、ネイサは廟堂から見事逃げおおせ、暗殺者達も二人の影の物に返り討ちにされた。
 北方へ向かっているとわかったのは偵察者が帰ってこなかったからである。そして、今度は北方に集中して暗殺者が送られた、だからネイサがここに来ていたことは密偵の動きからわかっていた。
  でも、それについているのがジュナンであるとは思わなかった。だからジュナンが自分のもとに来た時正直息が止まりそうになった。なぜ、お前がと思わずにいられなかった。
 けれど、命令に忠実なコサはネイサの命をとるために出かけた。ネイサの馬が見えた時、見た光景に目を疑った。なぜタッサンがいるのか。
 まず、暗殺対象が移った。タッサンがいてはネイサを殺した後で自分も殺されてしまうか仕損じてしまう。だからタッサンから殺さねばならない。
 後はもう、何も考えていなかった。時を見て矢のように飛び出すと、タッサンの馬を狙った。そして落馬させたタッサンに槍を突き出した。いつもならそこで対象は死んでいるが、彼は強い。だから仕損じた。
 コサはタッサンに師事を受けていたことがある。タッサンは器用な人で獲物はなんでも使えた。その中で一等上手い剣を極めていた。だから、コサに槍を教えたのも、ジュナンに戦の弓を教えたのもタッサンだ。その時言われたことがある。
「槍は長いからあらゆる場合に有利だ。短く持つこともできるし、力をうまく使えばすぐに人を殺せる。だからお前が槍の名手になったら私の剣では手に負えないだろうな」
 あの時のことをコサは今でもよく覚えていた。
 夕陽が照らす中だった。
 草むらで、彼はそう言った。
 その時はまだ、槍の扱いに困っていたような幼少期だったから、タッサンの言っていることは信じられなかった。でも今ならわかる。槍はあらゆる場合に有利だと。戦慣れしていないものに持たせるのも槍だ。遠ければ遠いほど、人は怖さを忘れる。そうして人を刺すことができる。
 タッサンに自分の力が通用するのか試したかった。でも、あんな形で試すことは望んでいない。
 だから、コサは今辛かった。影は沢山いるから、どの影が任務にあたっているかまでは耳の早い影以外は知る由もない。コサは殺したくない二人が敵になってしまったのだ。二人を残してネイサを殺しても二人はコサに向かってくるだろう。
 コサには、タッサンとジュナンを殺す道しか残されていないのだ。