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 低い庭木の横を紋白蝶がゆらゆらと飛んでいる。春めく景色を目に三平は寝起きしている座敷で薬の調合をしながら過ごしていた。
 珠代の容子は快復には向かっておらず、足踏み状態の中で苦しむ珠代を三平は置いて帰ることも出来ないで、未だ屋敷に留まっている。屋敷の主人も使用人たちも一人娘を治すことの出来ない三平を邪見に扱う事はなく、最近では仕事合間に三平の部屋の縁側に腰掛けて世間話の一つや二つ持ち寄ってくるぐらいだった。
 使用人たちと三平の無駄話はミヨには暴露ているらしかったが女中頭である彼女が目をつぶっていることを三平は知っていた。近頃では三平がいては憚られそうな話題を種に縁側に二、三人程が腰掛けて話していることもある。三平の方も人の話し相手になるのは嫌いではないから、すぐ近くで話される話の輪に加わることも多い。三平も思わぬうちに屋敷事情やら、使用人の誰が飯炊きの誰を好いているとかいう話を知る様になった。色恋、惚れ話というのはどこであっても健在らしい。
「三平さん、お茶菓子大福餅と串団子、どちらにします?」
「あぁ、わっしは何でも構いやせんです」
「ふふ、お嬢様が三平さんとご一緒したいそうですよ。お菓子、選んで頂きたいんですって」
「はぁ……ンなら、大福餅で」
「はい、わかりました。後で持って行きますね」
 ちょうど庭先を通りかかった使用人が障子戸の影から声をかけて去っていく。三平はやっと調合の手を止めて、広げていた道具を片付けてから閉めきっていた障子戸を開けた。陽光が目に眩しい。三平のいる部屋から見える庭先を手入れしていた男がこちらに気づき愛想良く片手をあげた。男も一段落ついたようだ。手ぬぐいで顔を拭い、男は縁側の近くにある石に腰掛けた。
「薬屋様も一休みですか?」
「ええはい。お疲れ様です」
「ありがとうございます。薬屋様もお疲れ様です」
 男はこの屋敷の園丁を務めている中のひとりだった。良くあちらこちらで姿を見かけるが園丁というだけあってか庭で見かけることがほとんどだ。日焼けして浅黒い肌にぴっしりと髷を結った小奇麗な男だ。ここへ務めはじめてもう三も年を重ねているという。だからか、珠代の具合が悪くなる前のこともしっかりと知っていて案じている。三平を見かけては珠代の具合を尋ねる始末である。
「薬屋様、お嬢様の具合はどうですか」
 生気の満ちた瞳を不安そうに曇らせ男は口を開いた。三平はふぅと息を吐いて宙を見上げていた視線を下げてからゆっくり言葉を返す。
「芳しくはねぇです。わっしも治せるもんなら治したい」
「治せるものと治せないものってのは、ありますからなぁ」
 少し諦めの色を含んだ園丁の言葉はさらさらと流れる風に呑まれていった。三平は薬屋の息子に生まれたが、薬屋が出来る限界というものを常々感じては虚しく思っていた。医者であればと何度か思ったろう。高い銭を払って手に入れた医薬書を読んで学ぶ努力は惜しまぬが、出来ることが違う。
 かといって、医者になれれば珠代の情態を治せるという訳でもない。恐らく憑物がついたと言われる様なあれらは人の世から疎外される存在である。風聞には奇跡が生じたとしか説明のつかぬ事象が起きたりもするが、三平はいまいち信じきれない。奇跡は二度とは起こらぬと、そんな気がした。
「おーお、六助ここにいたか」
 屋敷の影、庭の向こうから呼び声と共に園丁仲間が声をたてる。六助と呼ばれ三平の向かいにいた男は腰を浮かせながら呼び声の方に顔を向けて、またちらりと三平へ視線を戻し軽く頭を下げた。
「そいじゃ、お嬢様のことよろしくお願いします。失礼します」
 身軽に彼は仲間の方へと走っていく。男達の後ろ姿が見えなくなってから、三平は立ち上がり伸びをした。頭をぼりぼりとかいて欠伸を零す。旅中、身を置く環境よりかかなり不自由の無い場所にいると怠け癖がついていけない。
「水でも、もらいにいぐか」
 屋敷に泊まってからというもの、珠代を診に行く以外で外を歩きまわることをしない三平は、水をもらいに行くだけのこの道のりが座敷にこもりっきりできしむ身体をゆっくりと解してくれている気がした。心なしか重い肩を回しながら歩く。
 三平が山々を越えた先にある村で過ごす日数はおおよそ長くて五日というところで、七日を数えるほど長くはいることは珍しい。山を登る体力には長く間を開けてしまうと持たぬ所がある。いつもであれば、村の方々を歩き回ってみたりもするのだが、ここでは屋敷からたとえ村の中であっても、屋敷の外へは行きづらい雰囲気だ。屋敷の者は皆和やかに日々の仕事をこなしてはいるが、どことなく張りつめた空気を悪くさせてしまう原因になりたくはないと考えて、三平はやはり屋敷の一室で過ごす安寧を選んでいた。
 ひい、ふう、みい……、数えてみればもう八日はこの屋敷にいる。屋敷を出て旅に戻りたい気持ちはやまやまだが、やはり心残りは珠代のことだ。夜中に気が違ったようになる状態を抑えようと調合する薬を変えてみたりはしていたが、多少良くなったかと思えば見間違いだったとでもいうのかすぐに戻ってしまう。それでもだ、三平は昼間見せる珠代の笑顔に応えたくて、出発を先送りしていた。
 長い廊下をいくつか折れて、厨にたどり着く。厨の中では昼も夜もとわずに忙しく女中が働いている。
 三平が戸を開け入ると、三平に気付いた女中の一人が忙しそうながらも「何かご入り用ですか?」と聞いてきた。
「少しばかり、水を」
「あぁ、ただいまお汲みいたしますね」
「いや、わっしでやりますに」
「いいんですよ」
 女中は三平の断りを笑顔で撥ね除け、さっさと汲んだ水を手渡した。
「ありがとうございます」
「いいえ、薬屋様もお疲れでしょう、お休み下さいねえ」
「はは、これ以上休んだら鈍っちまいますでなぁ」
 水を飲み干した三平は厨を後にした。三平はかれこれ八日も屋敷にいるが、迷わず行くことができるのは自室と厠と珠代の部屋ぐらいなもので、興味はあるものの人様の屋敷を散策するような不躾な真似は出来ずにいる。
 厨の近く、人気の少ない廊下に面した納屋の向こう側にミヨを見かけ、三平はそちらへと足を向けた。しかしすぐに三平の歩みは止まることとなる。昼過ぎの春麗らかな日和に似つかわしくないぼそぼそと潜まった噂話が、納屋の中からするではないか。盗み聞きとは趣味が悪いが噂話の中に気になる言葉を耳にした三平は納屋の近くに突っ立って、耳を欹てた。
「やっぱり骨董に憑いてたのよぉ」
「きっとそうよね。珠代お嬢様が御可哀想で仕方ないわ」
「先代様の骨董好きが祟ったようなものですもんねぇ」
 三人の女中が納屋の中で話している声がした。辺りが閑散としているこの一角では潜めた声程よく聞こえるもので、三平は素知らぬ振りで立ち止まったまま噂話の続きに耳を傾けた。
「聞いた? 義満様が最後に持ってきたあれ、相当高価だそうなのに」
「手に入れた時はとっても安値だったんでしょう。曰く付きみたいなものよねぇ」
「あれを持って帰って来てからだもの、義満様の具合が優れなくなったのは」
「捨ててしまえばいいのに。どしてミヨさんもあんなもの大事に残しておくのかしら」
「気味が悪いわぁ。あの壺ひとつ捨ててしまうことなんて容易いでしょうに」
「旦那様も旦那様で捨てられずにいらっしゃるしねえ」
 偶然の吻合であると思えれば良いが、家の内情、こと噂に置いては家人よりも明るい女中たちの話だ。信ずる信じないは別として、聞く価値はあろう。三平は心中で自らに言い訳をしてはいたが、身体は正直との言葉通り、足は板張りの床に縫い止められたまま動かずである。
「私ねえ聞いちゃったのよぉ」
「何を?」
「義満様と仲がよろしかった覚兵衛様の息子さんがね、あれがどこからやって来たか、教えてくだすったのよお」
「利兵衛さんが?」
「そうよ。利兵衛さんがね」
「利兵衛さんていったらよく町まで出稼ぎしてくる」
「うんうん。あれは物売りから安値で手に入れたそうなのだけどさ。物売りがね言うには、あれを売りに来た古物商が早く売り払いたくて安値で押し付けて来たかと思ったら、早く売り捌いた方がいいって言葉まで残してったってのよ」
 骨董が祟る。如何にもありそうで妖しい話である。今微妙な均衡で崩れず保たれているこの屋敷に投げ入れてはならない火種だ。
「まさか、憑いてたの?」
「そう、そのまさか!」
「やっぱりねぇ」
「なんでもね、あの壺、物売りも安く買い叩いてきたんだそうなんだけど、これがある家ある家、家人に不幸があるそうなのよ」
「嫌だ。本当に?」
 女中達はさらに声をひそめて後ろ暗い会話を続ける。
「利兵衛さんが聞いた話じゃあね、この壺のあった家がね、狐憑きだったって」
「狐ぇ?」
 一人が素っ頓狂な声を上げた。
「たいそう栄えてたそうなんだけども、何かあってお家が傾いてしまってね、その時この壺が物売りの手に渡ったそうなのよ。」
「狐って、あの、狐?」
「そうよぉ。物売りもこの壺が来てからというもの、なんだか気味が悪いくらいに商売が上手くいったそうなのだけど、暫らく帰っていなかった家に帰ったら、奥様が床に臥せってらしたって」
「まぁ……、珠代お嬢様と、同じ」
「奥様の具合が悪くなったのが、丁度壺を手に入れた時と一緒だっていうのよ。気味が悪いでしょう?」
「本当ねぇ。嫌だわ」
「それから物売りはすぐに壺を売り払ったのだけど、また壺が帰ってきてしまったって困っていたところで、それを義満様が買いあげたんですって」
 ガタリ。潜めていたはずが調子づいたせいか納屋の外にまでゆうに聞こえるようになっていた話声が息を飲む。
「ひぃッ、み、ミヨさん」
「ミヨさん、あの、ええと」
 納屋の扉が開かれた音がして、女中達が息を飲み、三平の聞き知った声がした。
「餅つきの杵が遅いとボヤいていたので来てみましたら」
「ミヨさん、只今お持ちします」
「はい、お願いしますよ。御三時が迫ってますから、急いで下さいね」
 三人の女中が忙しなく納屋を出て行く音がしてから三平はどっかりと濡れ縁に腰を下ろす。納屋の戸が閉まりやがて元の通り春の静けさに鳥の啼く声が遠く響いた。
 地面に向けて首を垂れていた三平の視界に影が落ち、陽射しが遮られる。
「聞かれて、しまいましたか、薬屋様」
 ミヨだった。彼女は白い顔をさらに青白く染めて、やんわりと口に笑みを結んで三平の顔を見た。先の女中たちが話していた骨董に憑く狐の話のことだろう。三平はははぁ、と頭を片手で掻きつつ、目尻を下げた。聞いてしまったことには、嘘は言えないのが彼の性分だ。
「聞かれてしまっては仕様が無いですね。あんな事を噂する者が増えてしまいまして、屋敷の外に噂が洩れ出ることも時の問題でしょう」
 細い首が庭の方を向いて、ミヨは独り言を口にしているかの様に静かに呟いた。
「わかっているのです。お嬢様の先が長くない事も、わかっては、いるのですが」
 彼女は薄い唇を固く結んで、目を伏せる。
「けれど、あのままお嬢様を放っておきたくはなかったのです」
 諦めたくないという思いと、きっと諦めなければならないという思いがミヨの中で鬩ぎ合っているのだろう。
「奥方様はもうお嬢様のことを見ているのが辛いと、もう長いことお嬢様と話されておりません。だから、私くらいは、私なんかに出来るのならば、お嬢様を少しでも元気付けたいと、思って」
 三平がここに訪れてから、ミヨの顔色が良い時は一度もなかった。女中頭としての仕事もしっかりとこなし、ミヨの下について仕事をする者からの信頼はあつく、周りからの評判も高い。しかし、珠代が言うにミヨは近頃いつも辛そうに笑っているのだそうだ。彼女の仕事を考えれば、仏頂面をしている訳にもいかぬから当たり前だと言えばそうだが、違った意味で彼女は笑っていると、珠代は言っていた。
 今まさに、三平の前に立つミヨは固く結んでいた口を緩めて、辛そうに笑った。
「つまらぬお話をいたしましたね。薬屋様には、長くお引き止めして申し訳ないと思っております。もし、薬屋様がここを離れたいとお思いでしたらいつでも仰有られて下さいね」
 珠代のためにこれほど心を砕いている彼女の泣きそうな笑顔に三平は胃の重さより、目頭に涙がたまった感覚を覚えた。けれど、ここで泣くべきは自分ではないのだ。眼前に美しく儚く咲く彼女の笑顔を、どうか壊さぬように、三平は苦笑いで立ち上がってミヨの肩に触れて言う。
「わっしにゃ、出来る限界というもんが御座います。けんども、わっしもお嬢様には生きて欲しい。出来る限りは尽くすつもりです」
 周りの者に諦められてしまう中、一人信じ続ける事がどれ程苦しいのか。諦めてしまえば楽になれるとわかっていても、諦めきれないことがミヨの答えであり、優しさでもあり、周りから言わせてみれば仕様も無い人、でもある。いくら女中頭として務めをこなそうと、死に際を彷徨い、獣の様に暴れる少女一人を治そうとおおわらわなミヨは、諦めが悪いだとか影でひそかに交わされている言葉も知っているのだろう。
 大丈夫、と言えない自分に腹がたつ。三平は細かく震える肩に気づかぬふりをし、やりどころのない視線を地面へと投じた。
「はい……。存じて、おります」
 だんだんと小さく細くなっていったミヨの答えは涙の匂いを含ませていた。三平はミヨの肩に置いていた手をそっと離すと「それでは、わっしはこれで」と云い残して廊下を歩き出した。
 濡れ縁の側に残されたミヨは三平の去った後の塵一つ見当たらない濡れ縁をじっと見つめて眉間に皺を刻む。今にも滴が零れ落ちそうで何かを睨まずにはやっていられなかった。大きく息を吸って、やっと目から力を抜いた。
 ミヨはこの屋敷に奉公して長い。珠代が生まれる前から彼女はこの屋敷にいた。
 珠代が生まれたのはミヨが数えで二十になった時のことで、それは彼女が女中頭として仕えはじめて翌年の事である。十が過ぎてすぐにいくつかの奉公先を転々としていたミヨがこの屋敷に来てから五年。前の女中頭に偉く目をかけられ、屋敷の旦那様と奥方様がおおらかであったこともあってか、ミヨは若くして次の女中頭の座を任されたのだった。
 周りからの嫉妬も少なからずあった。俸給も女中とはひとつ飛びで違うのだから嫉妬もあるだろうとミヨは負けじと務めを果たした。大変ではあったが、時日が経るにつれ認めてくれる者も出てくる。ミヨは忙しく毎日を過ごしていた。
 そんな時、奥方様が子を生した。珠代お嬢様である。珠代が産まれる前は旦那様の商売を手伝っておられた奥方様は珠代が産まれて少し経つとすぐに、珠代の世話をミヨに頼む様になり、再び旦那様の手伝いをはじめられた。だからミヨは、珠代の育ての親と言っても差し支えないくらい珠代が産まれてからの今に至る八年間、付きっ切りで珠代の世話をしている。
 珠代にとっては幼い頃からいつも傍らに居たミヨには親異常の親しみを感じているので、本当の母と話をする時の方が緊張すると言える程ミヨは近しい存在であった。
 ミヨからすれば、珠代は実以て我が子の様に愛おしく慈しい存在であり、珠代が死に際にあるという事実は彼女自身の身を切られるような思いに違いなく、同時に、珠代が死に近づく事実を認めなければならないために彼女は言葉通り追い詰められているのだ。
 だからだろうか、最後の綱と村から呼び寄せた放浪の薬屋に八つ当たりにも似た感情を吐露してしまったのは。
「お恥ずかしい」
 ぽつり、呟いた言の葉はやはり三平に向けて醜態を曝してしまった為に出た一言で。必死に珠代を信じているつもりでも、信じきれていなかった自らへの叱責でもあった。
 寡黙な三平はそれでいて、欲しいときには答えを返してくれるように感じて、どこか縋っている所があったのだろう。薬屋様からすれば全く迷惑な話だ、とまた申し訳ない思いに包まれながらミヨはため息を吐く。長くかかってしまったが、いつまでも引き止められても薬屋様が困るだろうから、言ってよかった筈なのだ。でも、最後に残された出来る限りは尽くすつもりだ、という彼の言葉が酷く優しく思えて再び己を責めはじめる。
 春の長閑な青空が嫌に眩しく思えて、ミヨはやっと人の居ない納屋の近くから離れて屋敷へと戻っていった。