ASiGaRu



 壺と呼ばれる器の中でうまれた。器は居心地が良い。土の匂いがする。身体を違えても意志を同じくしたものがひしめき合っていて安らぐのだ。
 名は知らぬ。いつ私ができたのかも知らぬ。考えたときにはここにいたのだ。
 ここには時折飯と酒が運ばれてくる。以前は冷厳な顔をした中年の男が運んで来た。近頃は歳若い柔そうな男が運んでくる。男の名は、何と言ったか忘れてしまった。覚えておらずとも喰いものはくれるし言いつけに従いさえすれば困る事はないからいいのだ。
 壺から出される時は生き血を啜れる。私が生き血を啜れば老若男女皆息絶えるのだ。絶命する間際に驚いた顔をしているのが可笑しい。言いつけを終わらせればまた壺に戻る。
 だが、歳若い男の顔をよく見るようになってから私は壺から離れなければならなくなった。歳若い男の父、冷厳な顔をした中年の男が私を壺からだしたのだ。器が恋しかったが、言いつけを実行するときには見えていないものが見えて面白くもあった。私は歳若い男の傍にいるようになった。
 人間風情は私を捕まえられぬ。だから私はよくその手からすり抜けると外へ出かけた。木々の生い茂る所にいる獣の中には、私に気付くものもいたがどれも近寄ってこない。畏れているらしいのだ。私は歳若い男が外に出かけるとき、必ず奴を追いかけた。奴はどうやら同じ歳頃の女に会っているらしかった。誰も来ないような所だ。泉がある木陰で、男と女は会うていた。
 男は家では滅多に見せぬような優しげな顔で女に笑いかけている。女も照り映える頬を気にもせずに嬉しそうな顔をしていた。男はそんな女の可憐な笑顔をとても好ましく思っているらしかった。
 二人の逢瀬は月日を跨いでも変わらず続いている。二人の身の丈に随分差が開くようになってからもだ。どちらかが先に泉の木陰で相手を待っていて二人揃うと暫く言葉を交わし、必ず時を空けて女が先に帰る。女が帰ってから男の顔はわかりやすすぎるほど寂しそうに落ち込んだ。
 男の生まれた家系は村の者に忌み嫌われてる。災いを呼ぶと畏れられていた。皆厄が怖いから家のものに逆らわず遠巻きにして関わらないでいた。だから男には友と呼べる者はいなかった。幼かった男がこの泉に来たときにあの女がいなければ、今も男には友などいなかったのであろう。男の家の血筋は後ろ暗いもので、だからか男の家は湿ったい空気に包まれていた。
 雪深き頃のこと。男は壺にすむ私たちの主になった。
 壺を受け継いでから、男は泉のある木陰に行かなくなった。呪いごとを行って生きることを決めたのだろう。あの女と結ばれることなど願えぬことであったから、男は果無みながらも女と会うことをやめた。
 冬が過ぎ春がきて、夏がきた。
 村で夏祭りが催されることになった。年に一度の夏祭りである。男は勿論そこへ行くことなど出来ぬ。家に閉じこもっているのが常で、外に出るなどもってのほかだった。出るにしても村人のこない山の中で一人ぼぅっと突っ立っているだけである。
「秋方さま」
 女は男をそう呼んだ。
「秋方さま。わたし、祭りの日にここへ来ます。だから待っていて下さいませ」
 自由に会う事の出来ぬ辛さ悲しみなどどこにも見当たらない女の微笑みに、秋方はかすかに眉根を寄せると頷いた。
「おさち。ありがとう、待っているよ」
 女の名はおさちと言う。おさちは秋方を好いていた。村でも評判の気立てがいい娘である。しかしおさちの両親はおさちがこうして一時秋方と会っていることを快く思ってはいなかった。憑き物筋の息子に自分の愛娘をやることが不幸せなことだと考えていた。憑き物筋の一家を村から追い出した中におさちの両親もあったのだ。おさちは親の思いも十分理解していたが、秋方を思う気持ちは強く両親や村人の目を盗んでは秋方に会いに行っていたのである。自分の気持ちを言いだすことは秋方をも辛くさせてしまうと、一時の逢瀬を幸せにこれ以上を望まぬように、おさちは思いとどめていた。
 他方で、秋方の父はもう一度村の中で権威を持ちたいと考えていた。村八分でひっそり暮らして行くことに辛抱ならない思いもあったのだろう。息子の秋方が村の方を見る目に寂寞とした思いがあることも知っていた。権威さえあれば、憑き物筋のこの家であっても村の中にいられるかもしれぬと考えた矢先にである。秋方の父に話を持ちかけた者がいた。村の村長の弟である。弟は邪な思いで秋方の父にある一部の者を殺せと言った。さすればお前等の家は村に戻れると。畏れと権威さえあればお前等は陰で暮らさなくとも良いのだと。呪いによって誰かを苦しめる力を有していたから、やはり誰かを殺すことはできた。しかし秋方の父はもう壺を息子へ継いでしまったのだ。自分に力は無い。
「秋方。お前がおさちと会うておることは知っている」
「そのことなら、もう……」
 秋方はもう会わぬからと目こぼししてもらおうと口を開いたが、父は秋方の言葉を遮って言った。
「祭りの日、おさちの家のものを皆殺せ」
 秋方の顔から表情たる表情が消えた。それから秋方が思い出すはおさちの言葉である。祭りの日に会おうと約束したあの言葉である。
 何故自分が好いている女と女の家族を殺さねばならぬのか。秋方は暗澹とした顔で俯いた。おさちに気持ちを告げる気は無かった。もう終わりにしなければならないと思っていた。このまま会い続けてもおさちが行き遅れればおさちもおさちの親も困るだろう。ならば自分が身をひいておさちの幸せを見守れれば、それだけでいいと考えていた。初恋は敵わぬという言葉通りだと笑える話になればよかったというのに、これでは、自らの手で大事な思い出を、宝物を壊す事と同じでは無いか。
 しかしこの家において命令は絶対である。
 命令に歯向かえば、父は秋方を殺す。壺の仲間のうち一匹が、秋方の父についている。であれば秋方が父の命に背いた所で秋方は命をとられ、後に祭りの日になればおさち一家も殺されてしまうのである。
 従うしか無い。秋方は絞り出したような声で返事をした。
 壺の仲間達も皆二人のやり取りを聞いていた。使役するものの傍にいれば、彼等の胸の内は手に取るようにわかる。秋方が窮しているのは皆よくわかった。
 夏祭り当日のこと。
 秋方は自室に家中の壺に住む仲間を集めた。部屋は床から壁から天井まで壺に住むもの達で真っ黒に染まって蠢きたっている。戯れているものまでいた。秋方は幼き頃から父とは違う接し方をしてきていたから、壺の中のものは少なからず秋方のことを好んでいるものも多かった。もっとも秋方も秋方の父も壺の中の私たちのことなど何も知らぬのだ。
 秋方はよく通る穏やかな声で言った。
「はじめに花火があがった時に、おさちの家に居るものを殺せ」
 祭りは幾つかの村が共になって催す。花火は祭りのはじめと終わりを締めくくる大きなものだ。秋方ははじめの花火が打ち上げられた時にと言った。壺の中から出て室を埋め尽くしている仲間は皆、秋方が立ち上がると散っていった。主人からの命令は絶対なのだから、何を考えることなく私たちはおさちの家にいるものを殺めるのだ。
 私は立ち上がった秋方の後を気付かれぬように追った。
 秋方はあの逢瀬の場所にいた。おさちと約束を結んだ泉の木陰に一人立っていた。祭りの喧噪はここまでは届かない。男は静かな水面を悄然とした様子で俯きながら見つめていた。
 黄昏時の空が間もなく夜に染まろうとした頃に、土道をぱたぱたと駆ける音がした。おさちが息せき切って駆けてきたのである。もう暫く会っていなかった二人は、双方を前にして何も言えず。秋方が漸く口を開いた。
「すまない」
 秋方は短く告げた後におさちを胸に抱きとめた。
 遠くで、花火の上がる音がした。
 泉を前にして木陰に二人肩を並べて座る。宵闇に隠されて秋方には伝わらなかったがおさちの頬はりんごのように真っ赤に染まっていて、二人がぎこちなくしかししっかりと繋ぐ手はどんな時より熱を持っていた。おさちにとっては諦めかけていた願いが、夢のような形で叶っているのだ。
「おさち」
「はい、秋方さま」
 二人は水面の方を見つめたままでいた。手は繋がれ肩を寄せ合っていれば相手の息遣いすらもわかる。
「私はおさちに惚れているのだ」
 秋方は息を吐き出すとおさちの手を強く握った。
「この村を共に出てはくれないか? おさち」
 花火の音が響く。ザァと風が水面を波立たせる。色を失くした黒い木々が葉をざわめかせた。
「でも、わたし、親は……」
 おさちの句が継がれる前に秋方は首を振り、おさちの言葉を遮る。
「お願いだ。さち、共に来てくれ」
 繋いでいた腕をひくと秋方はおさちを腕に閉じ込めた。おさちは抱きしめられる間際に見てしまった秋方の苦しそうな顔を思い、首筋に埋めた顔を俯かせる。秋方の思いが胸に痛かった。親が許してくれないのはお互い同じで、秋方が言っているのはこの村を捨てて二人で出て行かないかということ。
 おさちは目を伏せ答えた。
「……、はい。共に参ります」
 水面を揺らす風はやまない。肩を寄せ合う二人は祭りで賑わう村をひっそりと出て行った。皆が騒いでいる間に気付かれぬようにと。二人が駆けて行く後を黒い影がするりと追いかけた。
 二人が村を逃げ出して、五日目の夜。
 秋方が血を吐いた。
「秋方さま、秋方さま?」
 おさちは男の背を抱き、さする。おさちの心配そうな表情を見て、秋方は弱々しげに笑うと言った。
「大丈夫だ。おさち。すぐ、治る」
 せっかく二人は自由になったというのに、解き放たれることは望めぬのか。おさちは秋方が漸く眠った横に座って憂いていた。ただ二人でひと時話すこと以上を望んだからなのか。結ばれてはならなかったのだろうか。夢の続きはもう見られないのだと、どこかで何かが告げている。おさちには秋方の傍にいることぐらいしか出来ない。
 秋方が眠り込むようになってからも、おさちは変わらず秋方の看病を続けていた。秋方が吐く血には泡沫が混じっていて、吐き出す量は日に日に増えていく。
「秋方さま。薬師を」
「いや、いいんだおさち。呼ばないでくれ」
「……はい」
 頑なに薬師を呼ぶことを嫌がる秋方にとうとうおさちの方が折れてしまった。
「なに、心配無い。共に生きよう、おさち」
 ことあるごとに、秋方はそう言うのだった。おさちはそのたび秋方の言葉をどうしてか信じてしまう。共に、ずっと、二人で生きれることがどれほど幸せか。村にいては決して叶う事の無かった願いである。秋方が心配するおさちを撫でる掌にどれほど安らいだだろう。
 これで、秋方の情態が良くなるのなら良いのに。
「薬で治るものなら、良いのだがな」
 いつか秋方が言っていた言葉の意味を、おさちは理解したくなかった。それは恐らく、秋方の家に関係するもので秋方は自分の情態に気付いているのだろう。
 秋方の病状は悪くなる一方だった。
 息をすればぜいぜいと音がするようになり、日を重ねずあっという間にその音も治まらなくなった。飯を食べなくなった。水を飲んでも血とともに吐いてしまう。医者ではないおさちの目から見ても、秋方の先が長くないことは明らかだ。
 おさちは出来るだけ秋方の横にいた。秋方が夢から覚め現に戻った時に、常に共にいられるようにおさちは秋方が目覚めるのを待った。眠っている秋方の呼吸は酷く苦しそうで、そんな時何もしてやれない自分がやりきれない。眠る秋方の冷たい手を握り、胸を摩り、おさちは秋方を思った。村を出れば、自由になれる気がしていたのだ。共に生きられると思ったのだ。秋方の苦しみ全てを自分が負ってしまいたかった。
 秋の風が二人の住む室の戸を揺らす。もう数日すれば冷たい冬がやってくるのだ。
 珍しく布団から身体を起こしている秋方の横におさちは寄り添っていた。秋方の身体は冷たく冷えている。羽織を着せても布団をかぶせてもこの頃は暖まらなくなっていた。
「おさち」
 秋方が寄り添うおさちの名を呼んだ。落ち着いた呼吸をしている。この日は朝から具合が良かった。おさちは秋方の胸に寄せていた顔を上げて秋方の言葉を待った。
「私は、お前に生涯恨まれても仕方のないことをした」
 これから続けられる言葉が、おさちにはわかるような気がした。秋方がしきりに言う言葉の裏になにが隠れているのかおさちは薄々勘付いていたのだ。
「あの夏祭りの夜。私はな、お前の父母の命を奪ったのだ」
「そう、だったのですか」
 わかってはいたのだ。おさちの両親が憑き物筋である秋方の家を嫌っていたのは。秋方の家は、村の内に憑き物筋を忌み嫌う者がいるから、村に戻れなかった。秋方の先祖がいつの時から村を離れて暮らすことを選んだのかおさちは知らなかったがそんな話も聞いたことがあった。そして、村長の弟が秋方の家を村に戻そうとしていたこともおさちは知っていた。
 憑き物筋の秋方一家が村に戻るには不満の声を持つ一部の者をどうにかしなくてはならぬのだ。
 ずっと真実を告げてくれなかった秋方への憤りはあったかもしない。だがそれ以上に、夏祭りのあの日あの時秋方に思いを伝えられた時から予感はしていた。逢瀬の中で、秋方が思いを告げてくれたのは共に村を出たあの夏の日だけだった。秋方はおさちの思いにも気付いていたというのに、それを言わせてもくれず秋方も何も言ってくれなかった。お互いを不幸にさせないために、秋方は思いを通わせようとしなかったのだ。
「お前を助けたかったというのは私のわがままだろう。お前をただ一人の身にしてしまうかもしれぬとわかっていながら、お前と共に生きたいと願った私を、恨んでくれていい」
 秋方は後悔していたのだろう。思いを口に出せば何かが変わってしまうとわかっていながら、おさちに思いを告げた。
「秋方さまと共にいたいと申したのは私です。ですから、どうかお悔やみなさいませんように。ね」
「おさち……」
 好いている者の命を救ったことを悔やむ秋方がおさちは愛おしかった。なにを謝る必要があろう。
「本当ならば、私もあの時、殺されるはずだったのでしょう? 気付いておりました。父母を見殺しにしたのは私も同じ」
 だから、謝らなければならぬのなら自分も一緒だとおさちは思うのだ。感謝こそすれ、恨みなどせぬ。
「すまぬ、すまぬなぁ。おさち、まっこと悪い事をした。おさちよ」
「秋方さま、私は秋方さまをお慕い申しておりますよ」
 おさちはやつれた秋方の頬に手を添えて、微笑んだ。おさちの瞳には溢れんばかりの涙がひかっていた。
「恨むのならば、秋方さまがただ一人で逝かれてしまうこと。それだけです」