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 夜が明けて、空が光を取り戻す。鳥のさえずりが屋敷の外に響き渡っていた。
 佐吉の筆を持った手が止まる。和紙には墨字が所狭しと並んでいる。佐吉の後ろに、風が舞い霞から小童の姿が現れた。髪の短い男の童だ。きつい眼光を佐吉に向けて立っている。佐吉が振り返ると小童は目線を逸らした。
「おかえり。天弧」
 天弧と呼ばれた小童は答えもせずにその場に胡座をかく。胡座をかいた小童の横から、おかっぱ頭の童が現れて鈴が鳴るみたいにころころと笑いはじめた。
「早かったね」
「天弧になれば、千里もすぐですわ」
「お前はできんだろうが」
 早駆けもお手の物だといった野狐に、天弧はぶっきらぼうに返した。相変わらず視線をはずしたまま天弧はぽつりと言った。
「世話がやける奴だった」
「世話を焼いたのは自分でしょうに」
 茶化す野狐を天弧は睨み付ける。佐吉は目尻を和ませて口を開く。
「まぁまぁ。それで、どうなったんだい?」
「あの蔵にあった骨董は全て壊れた」
「へえ」
「器を失っていたから、弱っていたが。もうお前がトウビョウと呼ぶやつもおらん」
 ひょいっと立ち上がると天弧は姿を消した。横に座したままの野狐はやに下がる口許を裾に隠しながら佐吉を見る。
「あの世話焼きが喰らってしまえば、その女童も長らえるのでしょうね」
 佐吉は頷いて、文机へと向きなおると答えた。
「うん。そうかな」
 座したままの野狐に向けて、佐吉は続けた。
「三平さんが起きるまで、もう少し話しておくれ」
 まだ朝は早い。昨夜飲みふけっていた三平が目覚めるには十分時間があった。筆をとると佐吉は野狐の話に耳を傾けはじめた。

 秋方は冬を迎える前に亡くなった。
 首と腹とが真っ赤に染まった姿で布団に倒れているのを、明け方おさちが見つけた。気付いたときには秋方の身体は冷たくなっていておさちはそんな秋方に取りすがって泣いた。秋方の懸念していた通りにおさちは一人身になってしまったのである。
 おさちはその後、剃髪して出家したとも言うしどこかの農村で暮らしたとも言う。おさちが秋方と共に村を出てこなければこの世にいなかったおさちには過ごせなかったはずの余生である。
 風に聞いた話には二人が出て来た村では憑き物筋の家から狂人が出て、一家全員の命が奪われた。金品があると信じられていた憑き物筋の家は、村の者から家財諸々を持ち出されて終いには焼かれて残るは灰ばかりだったという。

 昼すぎになって三平はやっと泥のような眠りから目を覚ました。何やら哀しい夢をみていたような気がしたが忘れてしまった。佐吉はすでに起きていて三平はすすめられるがままに食事をとった。男一人であるというのにまめな奴である。三平も男一人で旅をしているがこうはいかない。毎日きちんと食事を整えたりはしていなかった。
「三平さん。これからどこへ行かれるんです?」
 三平は暫く考えてから珠代のことを思い出して頷く。珠代がどうしているか気になった。逃げるように出てきはしたがあれから珠代が変わりなくすごせているだろうか、屋敷にまで顔を出さずとも村には寄ろう。
「北にすこす寄り道していきまさァ」
 佐吉は三平の言った意味を理解したのか満足そうに目を細める。
「そりゃぁいい。お気をつけていってらっしゃい」
「おめんとこ来るのは、またつぎン年かね」
「寂しいですなぁ。三平さんが来たければいつでも来て構わないんですよ」
 おどけたことを言っているのに佐吉の言葉は笑えない。
「ここは居心地がいい。年に何度も来るようになっちゃァ、わっしはここで暮らしてしまうなァ。佐吉」
「いい所、ですからねぇ。あぁそうだ、それなら今のうちに薬を買っておこうかな」
「いつもン通り薬代はいらねェぞ」
 いつもの通りと三平は言うが、いつもは半額である。
「はは。気前がいいですね。懐が寒くなりませんか、三平さん」
 三平は鼻の頭を掻きながら「うるせぇや」と吐き捨てた。
 病に落ちるものに金が無ければ三平はやれ宿代のかわりだ、飯代のかわりだとかなんとか言ってほぼ無償で薬を渡すのである。懐が寒くなるのをどうにかやりくりしているので、佐吉のように全額払おうとする人は大切な客であるのだが。口にするのが恥ずかしくて言わなかったが三平は珠代への気がかりを解してもらったことを感謝して、薬代をただにしたのである。
「ねぇ三平さん。またいらした時にでもお嬢さんの御容子、教えて下さい」
「あぁ。覚えてたらな」

 三平は翌日佐吉の屋敷を北に向けて出立した。
 見送る三平の後ろには二人の小童の姿もあったのだが、振り向いていない三平は知らぬことである。三平が見えなくなった頃に小童はくるりと宙返りすると霞に消えた。
 三平が佐吉のいる村を出て薬を売り歩きながら五日ほど経つと、三平は目指していた村についた。あの女童の住む屋敷のある村だ。村へ降りていこうとする三平の視界にひとりの女童の姿が捉えられた。村の子供達が遊び回る輪の中に嬉しそうな表情で駆け回る珠代がいたのである。着物も表情も三平が診ていたあの時とは大違いであったが確かにあれは珠代だった。
 近くに村の者と話す六助の姿があった。六助の表情も幾分が明るいような気がする。
「外、出れたのかァ」
 三平は思わず呟いていた。
 あの屋敷の中に閉じこもっていた珠代はもういないのである。子供達の中で快活に動き回る珠代は健康そのもので、以前のどこかふさいでいた様子は無くなっていた。自分のことのように三平は顔を綻ばせると村へ降りる道を急いだ。
「あっ、くすりやさまだ!」
「えっ」
「本当だー! またきたの?」
 三平に気付いた子供達がいっせいに声をあげると、輪の中にいた珠代が驚いた顔をして穴があくほど三平をじっと見つめていた。間抜けにぽっかりと口があいたままなのが子供らしい。三平はそんな珠代に片手をあげて振る。
「三平、さん……?」
 すたすたと歩き寄ってきた珠代が三平の名を呼んだ。三平は珠代の頭を撫でながら笑って答える。
「よォ、元気にしてたかい、珠代」
「三平さん!!」
 珠代はこぼれそうなほどに目を見開いて三平に飛びついた。腰に抱きついた珠代を村の子供が不思議そうに見ていたが珠代は周りなど見えていないようだ。三平はしゃがみ込むと珠代に目線を合せて微笑んだ。
「こんなに元気が良くっちゃァ薬は必要ねぇなァ」
 周りを取り囲んでいた子供たちが三平の言葉に笑い出して口々に喋りだした。
「えー、うちの爺ちゃん具合悪いから帰んないでよ、くすりやさん」
「うちの姉ちゃも!」
「おれのお父も診てってよ」
 頭を掻きながら三平は「こりゃァ大仕事だなァ」と笑う。すぐに子供に懐かれる三平である。行った先々の村で子供に懐かれては行かないでくれだ帰らないでくれだとせがまれるのだ。この村の子供もすっかり三平に懐いていた。
 ひと通り子供を相手してから休憩していた大人達の所へ行く間もずっと珠代は三平に抱きついたままだった。抱きついたまま泣いているらしい。三平がいくら声をかけても離れないので三平は珠代を抱き上げてしまった。
「泣くことねェぞ珠代」
 頷く珠代だが、涙がとまらないようだ。背中を叩きながら三平はほっと安堵の笑みを浮かべた。あのまま亡くなってしまってもおかしくなかった娘が、走り回って遊んでいたのだ。これほど嬉しいことは無い。三平は人が恢復してゆく様子が一番好きだった。恢復した後は皆病を患う前より生き生きしているものだ。病の度合いが大きければ大きいほどそれははっきりしてくる。
 三平が大人達の集まるもとについた頃、やっと珠代は村の童達に声をかけられて遊びの輪に戻っていった。離れ際に珠代が言った。
「わたしね、きれいなお狐さまが、黒いのを食べてくれる夢をみたの」
「狐……?」
「お狐さまもう大丈夫だって言ってました」
「狐、かい」
 佐吉が言っていた憑く獣の中には狐が筆頭にあげられていたが、憑き物が憑き物を喰うなんていうことがあるのだろうか。あったとして、どこの誰が。
 いや、今はいい。もう決着がついたことを後から思っても仕方が無い。
「わたし、全部思い出したの。ありがとう、三平さん」
 にっこりと笑った珠代の顔は、三平がはじめてみる笑顔だった。
 三平は珠代を見送ってから暫く童達を眺めていれば、三平の名を呼ぶ声がした。
「薬屋様。どうもご無沙汰でございます」
 六助だった。
 屋敷でよく見た園丁の恰好からふだんの着物に着替えている。珠代の付き添いだろうか。外に出すようになったといってもあの屋敷で珠代は大事にされているのだ。久しく見る六助の顔も以前より明るいように見える。
「その節は本当にありがとうございました、薬屋様」
 六助は深々と三平に頭を下げた。慌てて三平は六助の頭を上げさせて言う。
「わっしは頭下げられるようなこと何もしとらンです」
 確かに傍目には恢復してみえたかもしれないが、あの時三平は何もしていないのだ。
「……えぇ、そうかもしれません」
「んなら、なして」
 六助は黙っていたが、暫くして口を開いた。
「三平さんが発たれてから、少しして、蔵にあった骨董全てが滅茶苦茶に壊されておったのです」
「えっ、あの、あれがァ全部」
 蔵にはかなり沢山の古物があったのだ。あれが全て壊されるとは一人の人間では出来なかろう仕業である。
「人がやったとは思えません。壺も、鏡も、太刀も、何もかも元の形がまるでわからぬくらいに見事に壊されておりました。あぁ、でも臥せっていらした時の珠代お嬢様でしたら出来たかもしれませんね」
 茶化して六助は笑う。
「でも、蔵の物が無くなってからは、皆憑き物がとれたような思いでした。屋敷の者がみな、ずっとあの骨董たちに縛られておったようです。旦那様も、奥方様も、そして珠代お嬢様も、義満様の言葉に囚われておったのですよ。義満様の最期はそりゃぁ恐ろしかったですから。祟られでもしたんじゃないか何て噂をたてる者もおったくらいで」
 壊されて、よかったのかもしれぬ。
「珠代お嬢様がお元気になられて、屋敷中明るくなったのですよ」
 六助は人好きのする顔でにかりと笑って「だから、薬屋様には感謝しとるんですよ」と言った。

「さんぺーいさーん!」
 珠代の声がした。童達が三平に手を振っている。
「いっしょにあーそーぼ!」
 三平は力の抜けた笑みをこぼして、薬箱をおろす。
「はっはぁ、人気ものですな、薬屋様は」
「人気もここンまでくると困り者でさァ。ちょいといってきやす」
 風に靡く紅い着物が中々やって来ない三平の元へと元気よく駆けてくる。
 大地を照らす太陽はこんがりとした狐色をしていた。野風に吹く風が夏の香を含ませている。もうすぐ、この村にも夏が来るであろう。

 昔々の、誰その話である。


  了