ASiGaRu


 屋敷に悲鳴が上がった。
 朝のことである。
 女中が女主人を起こしに行った時だった。女主人は布団の中で真っ青な顔で亡くなっていたのだ。まるで縊り殺されたようだったという。
 騒ぎを聞きつけた屋敷の者が大勢駆けつけて、女主人の死に動揺した。
 最も動揺したのは娘である。
 嘆き吠えるようにして動かなくなった母に取りすがった。
「かあさま、かあさま!」
 幼子が母を求めるようなその叫びに、屋敷仕えの者の中には涙をこぼすものもあった。
 ただ一人を除いては。
 仁蔵はその様を何の感慨もなく眺めていた。自分が手にかけたものの遺体を見るというのはこういうことなのだと半ば壊れた心持ちでそれを眺めた。
 自分にあれほど毒づいたものがいなくなるのはこういう気分なのだと。
 それは虚しかった。
 例えどれだけ毒づかれようとも、どれだけ忌み言を吐かれようと、もうその人がいないとなれば仁蔵にはあれほど苦しかったことも、もう全て無くなったのと同義なのである。
 仁蔵はわからなくなった。
 殺ったのは自分だけど、自分じゃない。
 あれを殺したのは自分だったのか?
 誰が殺したのだ。
 自分というものがわからなくなった。自分が殺したのならば何故殺してしまったのだろう。憎かったからだ。いや、本当に憎かったのだろうか。
 仁蔵は悩んだ。何故手にかけてしまったのか。
 喜びで溢れるはずではなかったのだろうか。どれだけ苦しかっただろう。どれだけ悲しかっただろう。どれだけ憎かっただろう。
 でも、今はただ虚しいだけ。
 何もすっきりしなかった。何故だ。何故、あっしは殺してしまったのだろう。

 一十九と俐榮はあれから一言も言葉を交わさずに浅い眠りに落ちた。
 朝になって緋依に起こされて、寝ぼけ眼で顔を洗う。今日のうちにはここをでなければ。一十九に懐いているらしい緋依には悪いが、視えることを知られた結果、いいことが起きたことは一度もなかった。
 だから母の言いつけを今まで守ってきたのである。
 母は言っていた。「自分から視えることを話してはいけない」と。母の言いつけを守れば毎日を滞りなく過ごせたのだ。きっとそれは守る価値のある言いつけだと、俐榮は確信していた。
「兄様、どうしたの? 何かあった?」
 朝、緋依を連れて外に出ていた時だ。緋依に言われた言葉に俐榮は少し不満そうな顔をしてから答えた。
「今日にはここを出るよ」
 緋依が声をあげる。
「えっ、どうして。私何かしたかしら」
「そうじゃないんだ。いつまでもここにいては定住できる場所を探せないからね」
「お家を探すのね」
「そう。だから朝食を食べたらここを出よう」
 緋依は大きく頷く。
 二人であばら家に戻ると一十九が蒼白な顔をしていた。
「一十九さん、ひどい顔色よ?」
 緋依に声をかけられ、一十九ははっと顔を上げる。
「いや、なに。大した事ではない」
「でも……」
「朝餉をとろう。用意しておいた」
 鍋はぐつぐつと煮えていた。暖かい飯である。二人が外に出ていた間に作ってくれていたらしい。朝から何かしているなとは思っていたが、昨日の晩のようにまた飯を整えておいてくれたのだ。
「わぁ、私達も頂いていいの?」
「もちろんだ、私一人では食べ切れぬからな」
「兄様、よかったね」
 昨夜あんな物言いをしてしまったのに飯を用意してくれるとは思ってもいなかった。大層失礼なことを言ったのに。俐榮は歯切れ悪く頷く。
「あ、ありがとうございます、一十九さん」
「礼には及ばぬよ。昨晩の謝罪も兼ねてだ。水に流しておくれ、俐榮」
 一十九はにかりと笑いながらそう言った。失礼なことを言ったのはこちらなのに。どうしてそんなに心の広い対応ができるのか、俐榮は自分を情けなく思う。
 朝食の席は賑やかだった。相変わらず緋依は二人に話しかけては鈴のように笑う。
 人と食事ができるのが楽しいのだろう。そんな緋依の言動に俐榮の心も溶かされて、柔らかくなっていた。
 でも、出立の準備ははじめなければいけない。俐榮は少ない荷物を風呂敷に包み、麻紐で括った。緋依の分も入っているから少し重たいけれど、二人旅にしたら少ないくらいだ。緋依は何も持ってこなかった。何も持っていないからだ。
「行くのか?」
 一十九だった。旅の支度をしていると一十九が口を開く。
「はい。ひとところに長くはいられません。住む場所も探さなければいけないし」
「だが、子供二人では見つけるのも難しいのではないか」
 一十九の言う通りだった。
「それでも、見つけないといけないんです」
 その時である。小屋の戸が乱暴に叩かれた。何事、と二人はそちらを見る。
「私が出よう。何か嫌な感じがする。二人は隠れていなさい」
 一十九の言葉に俐榮は素直に頷くと緋依と共に水瓶の影に隠れた。緋依は不思議そうな顔をしているから口の間に指を一本たてる。頷いた緋依に俐榮は息を潜めた。
「はい、何でしょう」
「ここに住んでいるものですか?」
「いえ、私は旅の者です」
「ならここらへんで男女の子供を見かけなかっただろうか。探しているのだが」
「男女の子供……ですか。どんな背格好をしているのです」
 俐榮は口から心臓が飛び出そうだった。
 あの声は、家人である。二人を探しているのだ。ちらりと除き見ると一十九は家屋内を見えないようにその大きな身体で戸から中を隠して立っていた。
「女のほうは小さくて髪は垂らしたままだ。男の方はそうだな、四尺くらいの背丈だ」
「見ていませんなぁ。お力になれず申し訳ない。どこの家の方でしょうか、もし見かけたら報をいれましょう」
「いえ、それには及びません。ありがとうございまする。失礼致しました」
 一十九は嘘をついてくれた。その双子はここにいるのに。
 俐榮は今度こそ本当に一十九に感謝した。ここでまた家に引き戻されたら緋依は殺されかねない。だって座敷牢で生かしていた間だって母様がいなくなってからはまともに飯をやっていなかったのだから。俐榮は必ず逃げなければと心に誓った。
 戸を閉めた一十九がこちらに向き直り、声を潜めて呼びかけた。
「もう、大丈夫だろう」
 俐榮が縮めていた身体を伸ばすと、緋依も立ち上がる。まず深々と頭を下げて俐榮は言った。
「一十九さん、ほんに、ありがとうございます」
「ありがとうございます」
 緋依も被さるように頭を下げて礼を言う。
 そんな二人の頭に一十九の手が伸ばされ、わしわしと撫でられた。
「何があって追われているのかは聞かぬが、この村を出るのも手助けしよう。旅は道連れと言うだろう?」
 俐榮は一十九の心の良い態度に泣きそうになった。今までこんな優しい大人はいなかった。彼と出会えたのはまさに幸運そのものである。母が見守ってくれているような気さえした。
 昼間は目立つという理由から一十九達は夜にここを出ることにした。
 昼の間は外にも出れない。緋依は慣れているから大丈夫なんて言うが、きっと外に出たいに違いないだろう。けれど今出て見つかっては元の木阿弥である。一十九はたまに外に出て彼等がいないか見ていてくれた。朝のうちに来たがもう移動したらしくいないという。
 初夏の夜は涼しかった。少し蒸しているが、気にならない程度だ。
 一十九が導いてくれるのに従い、二人は外に出る。
 二人が来た村とは反対の方角に向けて一十九は夜道を歩きだした。月が煌々と照っている。緋依はそんな月をたまに眺めながら、楽しそうに歩く。もちろん二人は手を繋いでいた。
 村から少し離れた山道を歩いている時、緋依が言う。
「兄様と二人もいいけれど、一十九さんがいるととっても楽しいわね」
 にっこりと笑っていう緋依に、俐榮は離れて旅をしようと思っていたなど言えなくなっていた。それに、一十九の言っていた知り合いという人物にも興味がわいているのだ。
 二刻程歩いて、木陰に座り休むことにした。朝を待つのだ。
 疲れているだろう緋依に軽く食べ物と水を飲ませて横になるよう言った。
 緋依の頭を膝に乗せさせる。自分は木に背をもたれさせた。一十九は朝火を起す分を集めるといって薪を集めに出ていった。火の番くらいなら手伝えるだろう。
 緋依は今までこれほど歩いたことがないから相当に疲れていたらしく、すぐに寝息をたてはじめた。すぅすぅと、彼女の寝息は俐榮の耳に届く。緋依は何も視ていないようだし、護符の効果は本物である。緋依がずっといた座敷牢にも、母様が護符で結界を作っていたと聞く。だから緋依が話す妖かしの姿はいつもあの明かりの小さな窓からしか視えなかったそうだ。それで、話したりもしていたというから、緋依は人間よりかは妖かしの方が馴染みが深いのだろう。
 たまたまあの場所で緋依がお稲荷様を見つけられたから、守っていただけたけれど、そうでなければ緋依は取り殺されていただろう。そう思うと一層この手を離してはならないと思う。
 お稲荷様には軽く参拝していおいたけれど、またお礼参りに行かねば。
 どこか落ち着く場所を見つけたらまた、ここに来よう。
 眠る緋依に羽織をかけてやる。いくら初夏とはいえ、眠ると身体の熱は引いていくから、風邪などひかれたらたまらない。夜風はまだ冷たかった。
 それにしても、探しにくるとは思わなかった。だって、母様が直系だとはいえ、母様の妹の子は男児である。まだ玉のような赤ん坊だが。だから、自分を追いかけて連れ戻す必要などないと思っていたのだが。浅はかだったか。それとも、何か忌み子を外に出してしまったことが知れればお家が傾くとでも思ったのだろうか。もう絶対にあの家には帰らないのに。何を心配しているのやら。
 ただ、こうして二人で生きたかった。
 緋依に外の世界を歩ませてあげたかった。ほっそりとした肉のない足がくの字をかいて眠っている。長旅は酷だろう。何せまともな生活を送らされていなかったのだから。
 男女の差さえあれど、本来なら緋依の背はもっと大きくて良いはずだった。それが、座敷牢に閉じ込められ、外に出してもらえなかったせいか、ずっと小さい。言い訳としては兄妹と言いやすいけれど、それが俐榮には苦しかった。本来だったら一緒に大きくなっていたはずなのに。
 でも、緋依はそれでも自分についてきてくれたのだ。この大事な片割れを、守らなければならない。
「緋依は眠ったか?」
 一十九が薪になる枝と枯葉を抱えて戻ってきた。
「はい。お陰様で。疲れていたようです」
「なら、ゆっくり休ませてやらんとな。朝には鶏鍋にしよう」
 そう言う一十九の腰には絞めた鳥がくくりつけられている。彼は僧ではないから殺生の戒律には当てはまらないのだなと今更ながら気づいた。
「火付けを頼めるか?」
「はい」
 まず膝に上に眠っていた緋依の頭を荷物のくくりに乗せて俐榮は作業をはじめた。
 脇に置かれた草葉を山にして、その上に細い木々をのせる。それから付け木に火打ち石で火をつけ、枯葉の上に置いた。炎はゆっくりと枯葉を燃やしはじめ、葉は黒く煤けて蝕まれていく。細い枝にも火がつく。それから少しして火が安定したら大きめの枝を焼べる。炎はぱちぱちと音をたてながら燃えた。
 一十九は羽をむしり、つるりとした鳥を捌いているらしい。向こうから生臭いにおいがする。
 俐榮は一十九の持っていた鍋をとって、火の上にのせる。もちろん水も入れた。ちょうど一十九が戻ってきて、捌いた肉の塊を鍋へ投入する。
 俐榮は近くから食べられる野草を取ってきてそれを加えた。一十九は隠し味だ、とばかりに紙に包まれた塩をいれた。
「朝までぐつぐつと煮えれば旨い飯が出来るだろう。そうしたらまた三人でつつこうな」
「一十九さん、ありがとうございます。僕ら二人ではこんな暖かいお汁に預かることなんて出来なかった。乾物だけの生活でした」
「何、旅にはなれておるのだ。共に行けば色々なことを教えられる。俐榮は刀を持っているか?」
「懐刀なら」
「なら十分だ、それで捌くことができるな」
「捌き方は知っているか?」
「捌き方は心得ていますが、討ったことがないのです」
「狩りに言ったことは?」
「友人と、言ったことはあります。その時は弓を使いました」
「ほぅ、ならこの弓で明日獲物を捕らえてごらん。貸そう」
「人様の大切なものを借りるのは、気が引けます」
「良い、良い。良いと言っているのだから良いのだ。俐榮は腕が長いし私の弓でも扱えるだろうしな」
「じゃぁ、朝、よろしくお願いします」
 交代で鍋を見ながら眠ることになった。最初は俐榮が眠る。俐榮自身も疲れていたらしく、すぐにすやすやと眠りについた。
 一十九は眠る二人を視ながら思う。
 二人が追われているのならば佐吉に預けるというのも手だ。あの男は聡いのだ。だからこの二人がどうして追われているのかなどすぐに看破してしまうだろう。ならばやはり、二人に佐吉とあって欲しい。幸いにも俐榮は自分のことは自分で出来るようだし、緋依は何も知らないようだが、俐榮の指示があれば動けるように思う。ただで居候というより、あの境内の掃除にはちょうどよい人材であろう。佐吉が頷けばの話だが。
 果たして私を信じて彼等はついてきてくれるだろうか。俐榮は人一倍警戒心が強いようだから。
 一十九は一人考えに耽る。

 夢の中だった。俐榮は緋依が眠っている姿を見た。
 二人はこうして良く夢を通じて話すことがある。同じ時に眠っていればそれは尚更顕著で、だから屋敷に住んでいた時も、夢を通じてよく緋依と話したものである。でも、今眠っているということは緋依は相当に疲れている。だから起すのはやめて、その横にごろりと横になるに留めた。
 俐榮が起こされたのは夜半が過ぎて月も落ちかけていた頃だった。鍋がぐつぐつと煮えている音で目がさめる。一十九が肩を叩いた。
「起こして悪いが、少し頼む」
「はい。わかりました。よくお休み下さい」
 一十九は礼を言うと木陰にごろりと横になった。草枕を持参しているらしい彼はそれに頭を預け、眠りはじめた。
 俐榮は寝ぼけ眼を擦って、火の加減をなおす。鍋の煮えすぎもよくない。弱火にして、時がすぎるのを待つ。たまに、一十九のとってきた木を焼べながら。
 一十九さんは信用に足りる人物だろうか。
 子供攫いという話を聞いたことがある。親切なふりをして近づいて、付いてきた子供を後から売り払うのだ。それは大金を得られるから、一度やれば二度三度は同じ様なものとしてどんどんと手を染めていくのだ。
 一十九はどうであろう。
 祓い屋といっていた。修行を積んだと言った。それに、一十九は視えない、聴こえないものの、感じ取ることはできるらしい。緋依を助けに行った時も「気が悪い」と言った。だからそれらが蔓延る場所のことはわかるようだった。けれど何よりもすごいのは彼の満ち溢れる力だ。彼の気は邪悪な者を退けてしまう、無意識に。だから、俐榮はできることなら緋依を一十九の側から離したくはないと思っていた。彼がいると、緋依は普通の女子なのだ。
 ついていくことにしよう。
 俐榮はそう決心した。
 もし人売りだとしたら、必死で逃げ出す策を考えよう。きっと大丈夫だ。
 夢でも通じれるのだから、話せない状況においても話せるという強みがある。時間制限は起きるまで、だが。
 一十九は大丈夫だろう、という気持ちがますます大きくなっている。
 一十九の寝顔を見ながら、俐榮はふぅとため息を吐いた。
 朝焼けになった空に旭がぽっと顔を出す。ちょうど木々の間を縫って三人のいる場所に陽光が降り注ぐ。眩しい。
「朝か」
 くぁっと欠伸をすると一十九が起き上がる。
「おはようございます」
「おはよう俐榮。番ご苦労だったな」
「お鍋も良い頃合いですよ」
「何、それでは緋依を起こさねばな」
 緋依を揺する。暫く揺すり声をかけてやっと緋依は起きた。
「おはよう兄様、一十九さん」
 二人がそれぞれ挨拶を返すと顔を洗いにいくというので、俐榮もついていくことにした。一十九は小川が流れている場所を教えてくれた。
 冷たい小川の水を顔にかけながら、今度は手ぬぐいを濡らすと身体を拭く。緋依は長い髪が垂れていてうまく出来ないらしく、手伝ってやった。髪留めも買ってやらねばならないな、と今更ながらに思う。その長い髪は生活の上では邪魔になるだろう。
 荷物を括っていた麻紐を少し切ると、それで緋依の髪を結んでやった。
「髪飾りはまた今度買うから、今それなら邪魔にならないだろう」
「ありがとう兄様。私髪飾りなんかいいからこれでいいわ」
「全く。麻紐でとめているなんて余程のことが無い限りしないんだから、髪飾りは買おうな」
「はーい」
 それでもちょっと頭を手で触ったりしながら、感覚を楽しんでいる緋依に俐榮は心底ほっとした。
 朝餉は昨晩から煮た鳥の野草煮込み汁だ。
 うまそうな香りが鼻をくすぐる。腹が鳴りそうである。
「いただきます」
 三人はそろってそう言うと鍋から掬って食べはじめた。鳥の出汁が効いていてくたくたになった野菜も柔らかくほろ崩れる肉にからみついて美味しい。
 鍋はあっという間に空になった。
「このまま二人はどこへ行く予定なのだ」
 一十九の言葉に、俐榮は逡巡した。
「遠くへ。行って、住める場所を探します」
「ならば仮宿として、いい場所があるのだが、一緒に来ぬか? あそこなら屋根のある下で眠れる」
「いいの? 一緒にいけるの一十九さん!」
 緋依はとても喜んでいた。
「あぁ、俐榮さえ良ければだが」
「私、行ってみたい。お兄様」
 緋依に言われては断れぬのが俐榮の性だった。
「う、うん。一十九さんさえ良ければお願いしよう」
「私は何も構わぬ。では共にそこを目指そうか」
 そうして、三人は仮宿を目指すことにしたのである。
 仮宿がどんな所かはわからぬが、屋根があるならそれに越したことは無い。朝餉を終えて、三人はまた身支度を整えると歩きはじめた。
 険しい山道だった。
 こんな所に宿などあるのだろうかと思うほど、獣道という獣道を通って山を登り、降り、幾つか山を越えた。七日余りはかかっていただろう。
 一十九の飯に支えられながら、たまに降る雨をしのぎつつ、三人はひたすら歩いた。
 迷いなく歩く一十九の姿を見失わないように兄妹は手を繋いだまま歩く。時折、緋依が疲れて歩けないときなど、一十九がおぶってくれたりもした。
 これは、二人で逃げ出すなど無謀だったなと俐榮は理解する。でも、逃げ出せたからこそこの幸運である一十九と出会えたのは間違いない。ならば、それは必然。偶然では無いだろう。
 閑散とした村が見えてきて、一十九は声をあげる。
「ようやっと見えてきたな。あの奥に屋敷があるんだ。そこに泊まらせてもらおう」
 田畑で農作業をしている者もいた。仕事の手伝いを終えた子どもたちは駆け回って遊んでいる。
 土道を歩きながら、村に入ると一十九は知られているらしく、畑から声がかかる。
「よぉ、一十九さん、久しぶりだなァ」
「一郎さん、どうも、ご無沙汰しておりまする」
「また佐吉さんとこへ行くのかい?」
「はい」
「なら、これ持っていっておくれよ。余りで悪ィんだけどなァ」
 籠にいっぱいの作物を一郎は一十九に渡した。
「お渡ししておきます」
「よろしくなァ。最近は腰が萎えていかんよォ。どうにもあそこに行くまでが遠くて」
「ご無理をなさらず。お大事に」
「ありがとうよ」
 一十九はこんな調子で、多くの村人から作物を渡され、一十九が持ちきれない分は二人が持つことになった。
 土道だった所が途中から石が敷かれ石畳になっている。
 陽光が射す石畳の上は熱い。
 石畳に沿って歩いて行くと、村外れに大きな鳥居を構えた神社らしい建物が見えてきた。
「神社なの?」
 緋依はぽつと出た疑問を口にする。
「神社では無いそうだ。ここは佐吉という男の屋敷だよ」
「佐吉さん?」
「合わせたい知り合いがいたと言ったろう、俐榮」
 その言葉で理解する。彼が、視える人なのだ。俐榮は言葉もなしに頷いた。
 本殿の横にある家屋の裏に慣れた様子で一十九は向かう。
「佐吉ィ――」
 名を呼ぶと、奥から線の細い白皙の男が出てきた。作務衣を着ている。
「やぁ、一十九さんじゃァないですか。お久しぶりです」
 と、俐榮と緋依に目を向ける。
「珍しいお客様も着いて来なすったんですなぁ。まぁお上がり下さい、今水を用意しますから」
 そう言うと佐吉は奥から水のはいった盥を腕に、三つの手ぬぐいと共に渡した。
 一十九は促すように緋依を見る。緋依はなんのことかわかっていなかったらしいので俐榮は縁側に緋依を座らせると草履を脱がせた。
 それから盥に足をひたし、ゆっくりと洗う。豆が潰れている。無理をさせてしまった足は赤く腫れあがっていた。申し訳なく思いながらも、綺麗にすると今度は手ぬぐいで足を拭いた。
 緋依の番が終わると自分だった。俐榮はさっさと足を洗うと手ぬぐいで拭いて縁側にあがる。最後の一十九もさっさと足を綺麗にして、縁側に上がった。
 佐吉は残り水を庭に打ち水して、戻ってきた。
「さぁさ、奥へどうぞ」
 案内された室は、和室だった。畳が敷いてある。久しぶりの畳だった。
 佐吉が盆を手に茶を運んでくる。三人の前に茶が置かれて、まず一十九が茶を飲んだ。
 緋依はこちらを見ている。飲んでいいものかどうだか迷ったのだろう。俐榮が飲んで見せると緋依も同じく口をつけた。
「長旅ご苦労様でしたね」
 佐吉が労いの言葉を口にする。
「それで、一十九さん、急にこちらにいらしてどうかされたんです?」
「いや、な……その。視えるといつか言っておっただろう?」
「あぁ、言いましたねぇ」
「それで、この二人も視えるらしいのだ」
 佐吉はその目を二人に向けてからにこっと笑う。どうにも目を反らせない眼光だった。決して射抜くような強さではないけれど、捉えられているということがわかる目だ。
「家を探しているらしくてな、何か当てはないかと思って連れてきたのだが。迷惑であったなら私が預かるから聞かなかったことにしてほしい」
 佐吉はずずっと茶を啜ると、答えた。
「迷惑なんかじゃぁありません。要するに、この子達の行く場所を探してほしいってことでしょう?」
「あぁ」
 再び佐吉は二人の方を見て言った。
「佐吉、と名乗っています、この屋敷で住んでいる主です。お二人の名前は?」
「緋依」
「俐榮です」
「お二人は、そうだなァ双子ですか?」
 俐榮は吃驚した。緋依も驚いていたようだ。もう一人、一十九も驚いていた。
「なんで……なんでわかったんです」
「いやぁ、こればかりは勘みたいなもので。ここでは別にそれを隠さなくて構いませんよ」
「隠さなくていいって、どういう」
 俐榮の言葉に佐吉は笑う。
「何も、危害を加えるものなんぞありゃしないってことです。二人が双子だろうと、兄妹であろうと。私はそういう方面には少し知識がありますから、家では疎まれたことだろうと思いましてね」
 そうだ。そうなのだ。家では双子というだけで忌み子と呼ばれ、嫌われていた。だから緋依は座敷牢に入れられることになった。
「先行きは少ししてから決めましょう。まずはごゆるりと、旅の疲れをおとり下さい」
 佐吉はそう言うと湯浴みをすすめてきた。
 確かに、何日もまともな湯浴みをしていないから、髪は脂ぎっていて、足は疲れ切っている。
 一十九さんに先に入ってもらうことにして、二人は畳の間に座って待っていた。
 と、廊下の方から駆け足が聞こえた。
 軽くとんとんという拍子は子供の駆け足だ。
 二人は顔を見合わせる。誰か、いるのだろうか。
 障子の向こうに影が映った。背丈はちょうど俐榮と同じか少し高いくらいである。
「あの、誰かいるんですか?」
 緋依が止める間もなく声をかける。
 すると障子戸が開いて、おかっぱ頭の童子が出てきた。
「ふふ、こんにちは」
 鈴がころころと転がるような声だった。
「こんにちは、ここに住んでいる方?」
「そうねぇ、そうともいうね」
「私、緋依です。こっちは兄の俐榮」
「へぇ、緋依に俐榮。双子ね」
「なんでわかるの?」
「見ればわかるわ。それに、あなた達視えているのね」
 ぞわり、と背筋が泡立った。
 これは、視てはいけないものだったのだろうか。
「こら、脅かすな」
 ぶっきらぼうな声がして、短髪の髪をした童子が出て来る。
「悪かったな。お前ら視えるのならもう少し用心深くいたほうがいいぞ。こいつみたいに騙そうとして近寄るやつは五萬と居る」
「やだぁ、そんなこと思ってないよ」
「何を。とにかくこいつには用心しろ」
「あの、お名前は」
 と緋依が言った時だった。
 障子戸から佐吉が出てきた。
「二人共、ここにいたのかい。で、ご挨拶は済んだ?」
「一方的に野狐が名前を聞き出しただけだ、どうして用心深くないんだこいつらは」
「まぁまぁ、そう言わずに」
「俺は天狐だ」
「僕は野狐です、よろしくね」
 天狐に野狐、思いつくのは狐の神様だった。
「神様、なんですか?」
 俐榮の言葉に天狐と野狐がそろって笑う。
「落ちぶれてるが、一応はな」
 そう返したのは天狐だった。