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 狐は昔々、その寺に祀られた。
 祀られた当初は大層大事にされていた。子どもたちが遊びにくることもあった。大人はよくお参りにきた。狐は皆の願いを聞いた。狐の仕事は願いを聞くことである。干渉は出来ないけれど、それでも聞くことだ。そして、それがうまくいくように狐も祈るのである。
 お礼参りに来る者もいた。それを狐は喜んだ。
 けれど、いつしか時代が過ぎゆくと、寺には人が来なくなった。
 杖をついた爺様が最後に来ていた参拝客だったと思う。
 爺様は死んでしまったのだろう。人とはなんと儚いものだろうか。
 そして、神とはなんと寂しいものであろうか。
 人に忘れられた狐は、どうしようもなく悲しかった。
 段々とその悲しみは増していったように思う。
 寺の葺きが欠けたり、祠の扉が壊れても、誰もなおす人はいなかった。だって、忘れられてしまったのだから。
 だから狐は仕方なく、寺が朽ちゆく姿を見つめていた。ずっと、ずっと。
 そのうち自分が朽ちる時がくるのだろうと思った。
 そうして諦めていた頃だ。
 一人の若い男が、顔に汗を滴らせ、悲壮な面持ちで走ってきたのは。
 久しぶりの参拝客だと思ったが、どうにも様子がおかしかった。その瞳には涙が溢れている。喉からは嗚咽が漏れている。
 狐はその男の近くに降りた。
「どうして、どうしてあっしがあんな扱いを受けねばならんのです」
「今まで立派に奉公を務めて、我慢して、働いていたというのに」
「あっしがなにを、したというんです」
 男は苦しみを吐き出すかのように連々と言葉を吐き出した。
「あっしは……あっしは死んでも怨まれるのですか」
「親もおらん、嫁もおらんまま、一人死んでゆくのですか」
「どうして許せましょう、あの家を、人を」
「もう駄目だ。許したくない。呪い殺してやりたい」
「あんな奴ら、死んでしまえばいい」
 狐はその男が可哀想になった。
 一人死んでいく侘しさは知っている。誰にも手を差し伸べられないくらいなら、自分が差し伸べてやろうと思ったのである。
 最期に、これくらいは許されるのではないかと、そう思ったのだ。
「あぁ、あー、どうしてあっしばかりこんな目にあわねばならんのです」
「もういやでございます。あっしは生きているのが嫌でございます」
「生きていてもいいことなどなにもない」
「死んでしまえばアイツらにだって会わなくてすみましょう?」
「ならいっそ死んでしまいたい」
 狐はついに、そこへ姿を現した。
 助けたかったのだ。神が人へ力を用いるということは、神が堕ちるということでもある。狐は神から妖怪になったのである。
 人は、自分の力と運で這い上がっていくものである。それを見守るのが神の為すことで、神は決して人を助けない。ただ彼等が信じてくれる恩を、彼等の言葉や願いを聞くことで返すのである。そして祈るのだ、彼等がその道に従って成るように成ることを。結局は人の力なのである。どれだけ願っても叶えられないことは叶えられない。仕方のないことなのだ。
 けれど、狐はその男を助けてやりたかった。人を怨み、呪い殺してやりたいのなら、そうしてやってもいいと思った。
 一人で死ぬのは侘しい。
 ならば、少しくらい助けてやってもいいだろう。
 その代わり、対価を貰おう。命を使わせてもらおう。それぐらいしか今の自分には力が残っていない。男の呪詛の思いを力として使う代わりに、男の命を男に憑くことで力を得よう。
「その命、いらぬなら我がもろうてもよろしかろ?」
 口から出た言葉はそれだった。
 男を助けられる方法は残酷ながらそれしかなかった。
「あっしの命を、ですか」
 男は驚きに目を見張った顔をしていた。精一杯の力で現界した姿を現して、狐は言う。
「それ以外に何があるよう。さきほどから聞いていれば、いらぬいらぬ、にくいにくいと。粗末にここで打ち死ぬくらいなら、もらわれるほうがよろしかろ?」
 少しの恐怖を与えるだろうとは思ったけれど、この男の願いを叶えるのだからそれくらいは許してほしい。だって男には死んでほしくなかった。一人で死ぬなど、決してしてほしくなかった。
「でも、あっしはあいつらに復讐がしたい。始末したい。何もわからんであっしを虐げたあいつらが死ぬところが見たい」
 男の言葉に狐は微笑む。それは慈愛に満ちた母のような顔でもあった。
「なら我がそれを見せてあげましょ。だから、その代わりにお命ちょうだいしますえ?」
「……見せてくれるなら、構いやせん。どうぞ貰って下さい。ただ、代わりに絶対に死ぬ所がみたい」
「わかっとるぅて。安心しな、見せてあげる」
 狐は、やっと人の願いを叶えられることに喜びを感じていた。そうして、男の心の臓に掌をあてる。
「もらいますえ」
 それから狐は仁蔵となった。
 仁蔵の意識は薄っすらとあるものの、そのほとんどを狐が支配していた。
 狐は屋敷に戻ると、怒られれば仁蔵のしていた通りに下手に出て謝り、勤勉に与えられている仕事をこなす。そうすれば屋敷の者は何も言わなかった。
 時折悪辣な言葉をかけてくる輩もいたが、仁蔵が怨んでいるのは屋敷の主人と奥方、その娘である。その三人さえ殺してしまえば、きっと仁蔵は明るくなって感謝してくれると思った。
 まず、主人を殺した。
 仁蔵にもその時の光景を見せてやった。
 仁蔵は何も言わなかった。
 それから奥方を殺した。
 仁蔵にも見せてやった。
 けれど仁蔵は、迷っていた。何故殺してしまったのかと、自分を責めはじめた。
「あんたのせいやない」
 そう言っても、仁蔵は自分のせいだとひたすらに自責の念にかられていた。
 狐も、迷いはじめた。どうして喜ばないのだろう。あんなに怨んでいた人間を殺したのに、あんなに怨んでいた人間がいなくなったのに。どうして喜びが湧いてこないのだろう。
 それから、娘を殺した。
 仁蔵の憎悪の念を膨らませて、娘を殺した。
 でも、屋敷のものは皆出ていこうとした。何故、誰も喜ばないのだろう。
 下男も下女も皆、屋敷を出ていってしまった。
 仁蔵は何も答えなかった。
 一人、下男部屋で狐は仁蔵に話しかける。
「にっくい人の最期が見れて、気分もよろしやろ?」
 でも答えは返ってこない。狐は虚しい気分だった。どうして、何も言わないのだ。あれほど叶えたいといっていた望みを叶えたのに。
「もっともっと、殺して欲しい人おったら殺してやったんに。望み薄なお人やねぇ。欲がないっちゅうか」
 狐は恨み言を吐いた。
 どうせなら、もう堕ちた身だ。もっと殺してやっても良い。せっかく望みを叶えたのに、何も言わないなんて。
「次、どうしまひょ。我はもうあんはんの願い事は叶えましたえ?」
 仁蔵は答えなかった。
「はぁあ、つまらんわぁ」
 せっかく人と話せたのに、こんなにも黙りではこちらも楽しくはない。もっと話したかった。
「我がしたこと、だぁれも知らんもんねぇ。でも少しくらい残ったってよろしのに」
 奉公人は皆逃げてしまった。誰もいなくなった。仁蔵はまた一人になってしまったのだ。
 仁蔵が言った。何故殺してしまったのだろう、と。
「我に聞かれてもこまりますえ」
 そう、だって狐は仁蔵の願いを叶えただけなのだ。それが望みだというからそうしただけだ。
 仁蔵は虚しいと言った。
「なんでやろねぇ」
 狐も虚しかった。どうしてだかわからない。でも、人の望みが叶うよう祈るときはもっと満ち足りた気分であった。こんなに、寂しく虚しい思いではなかった。
「すっきりせぇへんわぁ」
 喜ぶと思ったのに。
 殺した娘のもとに行くと仁蔵が言う。
 どうしても殺さねばならなかったのだろうか。
「殺したいって言うたのはあんはんやろぉ?」
 だって、殺したいと言われたから、その願いを叶えたのだ。
 でも、殺すことは無かったのではないか。
「もう遅いわぁ。だって死んでますえ」
 そう、もう遅い。
 娘も奥方も主人も皆、死んでしまった。
 殺そうとなど思っていなかったのかもしれない。あれは、本当に魔が差したような思いで。
「その魔が我とでもいうん?」
 だって、殺したとて、虚しいばかりではないか。一家は死に絶えて、下男も下女も皆逃げた。何も良いことは起きていない。本当に良いことなど何も無い。
 この家は廃れて潰れて行く。娘は葬られずに朽ちて行く。
 どうして、殺してしまったのだろう。あっしは。
「あんはんが憎んでいたからとちゃいますの」
 憎かった。憎かったけれど……。
 あっしが逃げ出せば済む話ではなかったのだろうか。こんなことを仕出かしてもう全うな道は歩めない。何もかも台無しにしたのは自分ではないのか。殺さなければよかった……。
「人殺しが全うな道を歩もうなんて、浅はかやねぇ。ならさいしょっから頼まんとええんに。我はあんはんの願いを叶えただけ。死ぬ所がみたい言うからそうしてあげただけ」
 嗚呼。浅はかだ。そうだ。あっしは馬鹿で愚かだった。
 人殺しが全うな道を歩めるはずがない。もう、遅いのだ。
 そう、仁蔵が言う。
「馬鹿なお人やねぇ。こんな化物に身を窶してまで、願い叶えたら後は後悔だけだなんて。かわいそやわぁ」
 狐は可哀想に思った。何故、我に殺すことを頼んでしまったのか。逃げたいというなら逃げられるように願ったというのに。何故、我に頼んだのだろう。
 仁蔵の意識が涙を流した。
 そして、逃げればよかったといった。何故自分はまだ生きているのかといった。
 なら、逃げたらよかったのに。狐は思った。
 狐は虚しかった。これならば、仁蔵と共に死ぬのも悪くない、そうしたら、仁蔵は救われるかもしれない。仁蔵を救うにはそれしかないのではないかとさえ思えた。
 広間で独り、死を待つ仁蔵に、狐は仁蔵が覚悟を決めるのを待っていた。最期まで一緒だと。
 けれど、そこに二つの魂がやってきた。元は一つだろうか、とても良く似ている。そして、とても美しい魂だった。
 その二人はどうやらこちらが視えているらしい。奇特な者である。
「あらぁ、うちが視えるん。珍しねぇ」
 話しかけると二人は警戒した様子でこちらを伺っている。
「なぁに。こんなとこになにしにきたん?」
 狐は話せることが嬉しかった。可愛らしい双子はこちらへ姿を見せると女童の方が口を開く。
「あなたが、殺したの?」
 どうやら事の顛末を知っているらしい。
「我が? お手伝いしただけよ。みぃんな、この男が望んだこと」
 そう、狐は手伝っただけだった。仁蔵が望む気持ちを叶えてやったのだ。
「ほら、こっちおいでぇな」
 二人を呼ぶと、その足がこちらへ向く。まだ、力はあるようだった。仁蔵に憑いているおかげか。
「こっちおいで」
 さらに呼ぶ。
 女童のほうが近かった。そして、胸になにか当てられたと思うと、それは護符である。
 力が抜けていくような気がした。もう、我にはそれほど力は残っていないということが知らしめられた。刻限は迫っている。
 そうだ、と狐は思いつく。この美味そうな魂を喰らえば、もう少し生き永らえることができるのではないかと。
 女童をの首を羽交い締めにする。
「うまそうやし、とりころしても、ええんよ?」
 そうだ。喰らってしまえばいいのだ。そうしたら、仁蔵ともう少しだけいることができる。
「にいさ、ま。逃げて!」
 女童が精一杯の大声を出した。
 どうしてこう、人は利他的なのだろう。狐には不可解でならなかった。元は狐もそういう存在であったことさえ、長い時を経てはそんな意識も薄れていく。終いには自分の願いを突き通そうと仁蔵に憑いた。我は利己的な狐。狐は永らえたいのだ。独りは寂しい。だから、誰かと共にいたかった。
「そんな、そんなことできない。置いて行くくらいなら一緒に」
 喰ろうてやろう。共に。一緒なら悲しくないだろう。
「かわいい娘さんやねぇ」
「っ……離せ! 緋依を離せ」
「あらぁ怖いわぁ、そんな顔して」
 でも男童もこちらへやって来た。
 喰える。
 そう思ったときだ。
 狐は首を噛みつかれていた。
 黒い綺麗な毛並みの狐が、自分の喉元を噛みちぎろうとしている。もう、噛みちぎられたかもしれない。
 はじめて狐は闘争心を覚えた。必至に黒い狐から逃げようともがいた。
 もっと生きたい。
 もっと生き永らえたい。人を見ていたい。独りは嫌だ。
 仁蔵が声を上げて後悔の念を吐く。嗚呼、どうして、こうなってしまったのだろう。我は仁蔵の願いを叶えただけなのに。
「あっしは……殺してしまったのです。死にとうございませんが、償うには、死しか」
 共に死ねる、今なら。自分が喰い殺される前ならば。
 けれどその手を止めたのはあの美しい魂を持つ双子だった。
 そして、狐は再び喉元を仕留められ、黒い狐に吐き捨てられた。
 嗚呼、どうして、死なねばならないのだ。
 どうして。
 酷く悲しかった。寂しかった。侘しかった。死とは斯くも恐ろしく冷たいものなのだと、狐は思った。
 ――喰らう価値もない。
 黒い狐の声がした。
 目を閉じれば広がるのは闇ばかり。もう、自分は神ではない。喰らう価値もない落ちぶれた妖かしだ。
 さようなら、仁蔵。願いを叶えてしまって悪かった。
 どうか、生きておくれ。

 佐吉は筆を置いた。
 茶を淹れに厨へ向かう。湯が沸くのを待つ間に、茶の準備をした。
 もう外は夜だった。和室の方は静かだからまだ二人は眠っているのだろう。何か簡単なものを用意しようと菜を見つつ考える。いつ起きるだろうか、あの二人は。夜か、明日か、相当に疲れているだろうけれど、童子の力はすごいもので、ちょっと寝ればすぐに起きて力強く遊ぶものである。
 湯が沸いて茶を淹れる。居間に持っていってそれをすすった。
 熱い茶が、疲労していた身体に広がって疲れを揉み消してくれるようだ。
 天狐と野孤が来て、居間に座った。
 狐はもういない。天狐があれを仁蔵から祓った。仁蔵も今はどうしているやら、役人に文を出したとて返っては来ないだろうから、今はただ待ち祈るしかない。仁蔵がどうか生き永らえられるようにと。どうか道を踏み外すことなくまた前に進めるようにと。どれだけ憎くても人を殺した良心の呵責に彼は囚われていた。ならばまだ、前を向ける余地はあるだろう。
 狐が愛してくれたように、どうか、生きて欲しいと佐吉は思った。
 佐吉は一人口を開く。
「憐れみなんてもんは、良く言ってしまえば思慕であり……愛することでありましょう、ね。許されざる愛、なんつってよく言ったもんだ。ははっ」
 よく聞く言葉を口にしてみると軽く聞こえるものである。
「人に何かを働きかけた罰でございましょう?」
 野孤が可笑しそうに言う。
「でも、それだけ人を愛していたんだろう。あの狐は」
「愛していても妖かしに成り果てればそれはただの化け物だ」
 天狐が切り捨てる。
「愛しているからこそ、化け物になったのかもしれないなぁ」
 あの狐は、人を愛していた。だから身を賭してまで願いを叶えてやりたいと思ったのだ。
 佐吉ははぁと溜息をついた。
 救われぬ者たちだった。どうか、何か光を見出すことがあればよいのだが。
 と、その時和室からごそごそと音がした。どうやら起きて来たようだ。襖が開いて二人が顔を覗かせた。
「おはよう」
 二人に声をかけると二人もそう返して来た。
「今から食事の支度をしますから、少し待っていてください」
 緋依があっと思い出したように口を開く。
「私も、私も手伝わせて下さい!」
 何やら、二人で話したのだろう。自分一人で作った方が早いが、教えてやらねば覚えることも覚えられないだろう。佐吉は笑って頷き「じゃぁ厨へ」と言い立ち上がる。
 緋依がその後をぱたぱたとついて来た。
 手を洗うことから教えて、とりあえず鍋をかき回すことをお願いした。佐吉は先に菜を洗って切る。煮物を作るのだ。
 菜を鍋に入れてかき回すように頼むと、緋依は慎重に鍋をかき回していた。その仕草がおかしくて思わず佐吉は微笑む。
「俐榮はいいのかい?」
「兄様はお掃除のお手伝いをするって」
「そりゃ関心だなぁ」
「でも厨仕事もしますって言ってました。兄様、あれでとても器用なんです」
「そうなのかい?」
「私なんか何もできないけれど、兄様は色々できるもの」
 そう言いながらも緋依の視線は鍋に注がれている。これは菜を切るのには先が長そうだ。
 本当に、外に出たばかりの子供のような好奇心を緋依は持っていた。長らく独りでいたのだろう。佐吉に何かにつけて楽しそうに話す様はそれを物語っていた。
 盛り付けたものを俐榮が運ぶ。三人で居間に戻って食事をとることにした。
 食べ始めてから緋依が言う。
「狐様達は食べないの?」
 佐吉はその純粋な疑問に丁寧に答える。
「一応あれで神だからね。お供え物をするんだよ」
「お供え物?」
 そう、毎朝欠かさず供え物をしている。この屋敷を守る神のようなものである。供えなければばちが当たるというもの。
「本殿に、毎日供えているから、二人もたまに手伝っておくれ」
「はーい」
 二人は声を揃えて返事をした。天狐も野孤も、今は本殿で休んでいる事だろう。もちろん、有事の際には二匹は佐吉の前に姿を現わすのだが。
 一仕事終えてもらったから、休んでくれと言ったのだ。そうでも言わなければ二匹はずっと近くにいるのだから。
 食べ終えた膳を厨に戻して洗う作業は二人に任せてみることにした。といっても、佐吉も厨にいて様子を見ていた。
 二人が無事役目を終えてくれた頃には夜も更けていた。
「眠くないだろうが寝たらどうだい?」
「うーん、そんなに眠くないわ」
「そうだろうけど、寝ようよ緋依」
 不満そうにする緋依に佐吉はふむ、と少し考えてから言う。
「草紙を持ってきましょう。それを読んでいたらいい」
「草紙があるの?」
「えぇ。沢山ありますから、一夜では読みきれないほどにね」
 二人を寝間に戻らせて、佐吉は書室に戻ると棚から一冊抜き出した。
 草紙とはいったものの、これは佐吉が書き記した中の一つである。そういえば、あの二人字は読めるらしい。それなりのお家の子だなと思いながら寝間に行く。
 緋依は布団に転がっていて、俐榮は胡座をかいていた。
「ほら、これです」
 渡すと緋依はそれに齧り付くように受け取った。
「兄様、これすごい」
「どれどれ」
「ほら、いっぱい字が書いてある」
 どうやら緋依は絵巻ぐらいしか見たことが無かったらしい。
「読めるかい?」
「僕が読めるので、大丈夫です」
「それならよかった。こんなものでよければ沢山あるから」
「ありがとうございます、佐吉さん」
 俐榮が頭を下げる。礼儀のなった子である。おやすみなさいと声をかけて、佐吉が襖を閉じると、俐榮が読み聞かせる声が小さく聞こえ始めた。
「これは江戸であった話で…………」



 了